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葉山あたりで 春
神奈川県・三浦半島。相模湾をのぞむ逗子・葉山・横須賀へ、
海と山の春をさがしにでかけましょう。
まずは葉山マリーナの「LA MAREE DE CHAYA」で腹ごしらえ。
プレートにえがく春LA MAREE DE CHAYA
駿河湾ごしに富士山を眺められるLA MAREE DE CHAYAは、葉山の野菜や魚介類を活かした料理が特徴です。この日はサクラが満開の時期を迎え、サクラをテーマにしたランチをいただきました。
アミューズ(先付)はグリーンピースのポタージュ。前菜は軽くあぶったマグロのカルパッチョです。新緑に彩られた葉山を感じさせるプレートに、サクラの花びらを使ったヴィネグレット( 酢とオイルベースのソース)をかけていました。
天使海老とタケノコ、タラノメのベニエ(フリッター)。
ほろ苦いフキノトウのタップナード(ペースト状のソース)に、
サクラ色の塩が印象的です。
「収納手帖」 ギャラリー収納 編 編集・デザイン・撮影:エーランチ
ギャラリー収納の実例100件を集めた「収納百景」から3年余り、その第二弾となる「収納手帖」が発行された。
本をひらくと、「手帖」というタイトルに込められた意味がよく分る。「3000枚のCDを キレイに整理して飾りたい」
「ペットのケージ置場に困っている」
「テーブルを散らかしたくない」
「ダイニングテーブルで仕事をしたい」
「丸はだかのキッチンを隠したい」
全国のショップに寄せられる生活者の願いは、具体的で切実だ。
それに対し、24年間で5万件以上の実績を積み重ねてきた「ギャラリー収納」は、どのような答案で応えてきたか。人の写り込んだ生活を感じさせる写真を使い、収納の目的と利用法を紹介している。
戦後誕生した雑誌「暮しの手帖」は、限られたモノをつかった美しい生活をめざした。そしてギャラリー収納も、住空間を隅々まで活用し、生活を紡いでいく工夫を提供してきた。
四角いボックスにモノが宿り、生活者が使ってはじめて「生活収納」は生まれる。そうしたメッセージを伝えつつ、プロも参考になる収納レシピを満載したよくばりな一冊。(紋吉)
日本ヨット発祥の地 葉山港
古くは鎧摺(あぶずり)港と呼ばれた葉山港。明治時代には、日本人がはじめてヨットハーバーとして利用し「日本ヨット発祥の地」ともいわれています。今も競技ヨットのメッカとして、葉山マリーナを中心に、大学や社会人のクラブハウスが並んでいます。創業50年をこえる「あぶずり食堂」は、ヨットマンや釣り人いこいの場として愛されてきました。
春先はひじき漁やしらす漁の解禁でにぎわう漁港も、強風の影響からか沢山の漁船が係留されたまま、静けさに包まれていました。
【 葉山芸術祭 】開催中!
恒例のアートフェスティバル「葉山芸術祭」は20回をむかえ、絵画、音楽、映画、写真、クラフト、青空市場など大小120以上のイベントが開催されます。詳しくは葉山芸術祭ホームページをご覧ください。
鎌倉幕府をひらいた源頼朝によって建立された森戸大明神。頼朝は葉山を聖地として大切にしたそうです。今も総鎮守として町の人々に愛されています。
真名瀬港の近く、海を埋立てた新興住宅地から葉山御用邸方面をのぞみます。ここ芝崎海岸には昭和天皇が調査・研究された磯があり、東京至近のダイビングスポットとして知られる町の天然記念物です。
卓上のきら星たち 第12回 大統領、最後の晩餐 承前
(前回の続き)
ミッテラン元大統領は、頭から巨大なナプキンをかぶり、料理の香りを逃さぬようにして、ご禁制の野鳥オルトランを食べ始めた。その肉のローストには独特の香ばしさがあり、特にその香りを楽しむというデリケートなもの。そのため、頭からかぶったナプキンが皿全体を覆う形になるよう、食卓に頭を下げる。皿・ナプキン共に白色を用いるのが原則で、その白で覆われた小さな世界を、オルトランから立ち昇る芳ばしい香りが満たす。これを鼻腔の奥でとらえて、味わう。小さな野鳥は骨格も細く、一羽を食べるのにほんの数口で終わる。で、その骨も噛み砕いて香り豊かな肉や内蔵もろ共に食すのが習わしです。では、瀕死の病人であるはずのミッテラン氏は、どうしたか。骨の一片も残すことなく、これを味わい尽くしました、それも、二羽までも。
食卓を囲む人々全員が巨大な白いナプキンを頭からかぶり、並んでこれを食べる。まるで新興宗教の秘儀です。この夜、招待客の中には、ご禁制の野鳥と知って遠慮した人が数人いらした。出された料理を食べるべきか否か。決断を迫られる場面です。ならば、人生の最後を飾る晩餐会で、その一番大切な料理として「ご禁制の」オルトランを選択した元大統領の行為は、どう判断されるべきか。死後に事の顛末が明らかになった時フランスでは、その是非をめぐって、かなりの議論が起きています。
ところでミッテラン氏(1916-96)、オルトラン騒動とは別にもう一つ、世間を騒がせたことがある。「愛人騒動」です。氏には長年秘されていた愛人(1943生)があり、二人の間には娘(1974生)も誕生している。大統領在職中は、そちらの別宅で過ごす時間のほうが長く、氏にとっての何よりの楽しみは、毎年「その家族」と揃って出掛けるエジプト旅行だったとか。この話を知った時、苦虫噛み潰した顔の老ミッテラン氏に対するイメージが、ガラリと変わったのを覚えています。非常に興味深いのは、このふたつの騒動のうちフランスで問題にされたのは、オルトラン騒動だった、という事実です。愛人については「爺さんもなかなかやるじゃん」くらいの話で、「国家最高の重責を担う人物として適格性を欠く!」なんて議論は、まず出なかった。フランスでは、愛人関係は個人の自由、と考えるわけです。氏の伝記作者の言葉です。
これが日本やアメリカだったら、話が逆になるはず。例えば我が国で、首相が山奥の村の出身だとする。故郷の村では畑を荒らすニホンカモシカを密かに鍋にして食べるという習慣が古くからあった。首相就任後も帰郷のたびにこれを楽しみにしていて、いろり端で地酒片手に味噌仕立ての「カモシカ鍋」をつつく首相。その姿が週刊誌にスクープされる。スキャンダルです。しかし「カモシカ鍋」ごときで首相辞任に至るとは、ちょっと考えられない。一方これが「愛人隠し子発覚」となったら、現在の日本では「アウト」の可能性が高く、実際、愛人で辞任に追い込まれた首相がいらした。日仏間の、文化の違いです。
ならば日本では「食」は争いの種にならないかというと、これが、なる。たとえば、正月のブリ雑煮、甘い醤油で食べる刺身、強烈な匂いを発するホヤ貝、同じくクサヤの干物や鮒(フナ)寿司。いずれも各地方の風土と歴史に育まれた食文化ですが、その強烈な味覚は、子供の頃から馴れ親しんでいないと、なかなか気軽には食べられない。例えば、遠く離れた地方の相手と結婚して婚家に入るとする。「この伝統料理を伝えるのが本家の嫁の大切な仕事ですよ」と姑。料理の材料は鮒寿司! もしここで新嫁が「こんなもん平気で食べちゃうなんて野蛮人みた〜い」などと言ったら、ほぼ確実に冷戦開始に至る。鮒寿司で育った人にとって、あの強烈な香りは故郷と家族の思い出につながるからです。
同じ文脈の延長線上に「オルトラン問題」は位置します。これは「悪いと知りつつ貴重な食材を追い求めるグルメ」というよりも、むしろ、フランスにおける地方の伝統食文化の根強さを象徴している話なのです。「EU法じゃ絶滅危惧種かもしれないけど、この地方じゃ昔から食べてきた郷土料理なんだ、何を今更 …… 」という気持ちが背景にある。リッツ・パリの厨房を率いて、現代フランス料理の基礎を体系化したエスコフィエの料理書には、オルトランの料理が9種類も紹介されています。シェフをひいきにしたロートシルト(ロスチャイルド)男爵、エスコフィエとの恋仲を噂された女優サラ・ベルナール。共にこの野鳥料理大好き人間として知られます。「花のリッツでオルトランを」という時代があった。華やかにそして堂々と食べていた。「何を今更」は、当然なのです。
さて、ミッテラン元大統領、最後の晩餐を終えてひとこと「俺の胃袋はこれで一生分の仕事を終えた気がする」とつぶやいたとのこと。そして、その九日後に、亡くなる。誠にもって見事、というほかありません。
昭和はここから始まった「葉山しおさい公園」
御用邸の雰囲気を体感できる場所が「葉山しおさい公園」です。岩倉具定侯爵・金子堅太郎伯爵・井上穀子爵の別荘を、大正時代にまとめ、澄宮(現三笠宮)邸として利用されました。葉山を愛した大正天皇は、病気療養中ここで崩御され、昭和天皇への皇位継承が行われた地としても知られます。ちなみに金子伯爵の子息は明治15年、日本人としてはじめてヨットを建造し、葉山でセーリングを楽しんだといわれています。
公園内の「しおさい博物館」は、葉山の海洋生物や漁業の様子を紹介しています。海岸の散策の予備知識をえる場としてもおすすめです。水深1000mを越える相模湾。河口の汽水域から深海まで、どのような魚類や甲殻類が生息するか分りやすく展示されています。相模湾は貴重な標本箱のような海といわれ、明治期に日本の動物学を築いたエドワード・モース博士をはじめ、世界中の海洋学者から注目されてきました。昭和天皇も葉山の海を中心に海洋生物の研究をすすめられ、葉山町に下賜された標本は博物館に展示されています。
「住まう人がわかる家づくり」つくり手から見えること 清水康弘著
「お父さんは何している人?」
「工務店を経営している」
「じゃあ、お父さんは大工さんなのね」
工務店・参創ハウテック代表・清水康弘さんは、娘さんと友達の会話を聞かされ困惑した。清水さん自身も、工務店の仕事を説明するのは難しいという。20年ほど前まで、町場の工務店は「棟梁」の延長線上にあった。工務店主=大工は、大半間違っていなかった。しかし今、耐震や省エネ、品質保証、補助金申請等、住宅を建てるためには、様々な法令・制度の知識と書類作成のノウハウが不可欠である。こうした実情と一般的な工務店のイメージのギャップは、なかなか埋らない。そこで工務店主が何を考え、どういう人物であるかをまず知ってもらいたいと著者はいう。現代の工務店は「腕のいい大工」では成り立たない。日々変化する建築技術や法令、社会環境を知り、建て主に最大の利益を提供する存在でなければならない。そうした著者の熱意が伝わってくる。
本書には様々な人やエピソードが登場する。省エネルギーに尽力する魅力ある人物から、建築家をターゲットにした寸借詐欺、人気リフォーム番組の工事で体験したあきれた実態、解体時に発見される古井戸が多いこと、北海道で大流行したユニットバスのルーツ「バスオール」などなど、それぞれは一見バラバラでありながら、ひとつの線でつながっていく。その先になにがあるか、読者それぞれの答えが見つかるかもしれない。(稚葉)
葉山の命をみつめ、デザインする
葉山町・下山口に暮らすデザイナー山田長幸さん。昨年1月に立ち上げた、カタカナデザインの新作のまえで。
1990年代、個性的なオーナーによるインテリアショップが次々と誕生し、オリジナル家具や空間デザインを競い合った時代がありました。そのさなか、1996年にデザイナー・山田長幸さんによって設立された「 WISE・ WISE 」は、ラタンの家具に新たな息吹を吹き込んだブランドとして注目されました。そして設立から12年がすぎた頃、山田さんは大病に見舞われ、我が子のように愛してきた会社を離れます。
病を克服した山田さんは、昨年1月に「catacna 」(株式会社カタカナデザイン)を設立し、葉山の里山に建つ自宅兼アトリエで活動をスタートしました。山田さんは静岡県・清水市に生まれ、江戸の初期・シャム(タイ)の日本人街を治めた山田長政の子孫といわれています。東京造形大学を卒業後、エー・ディーコアやアクタスで家具や空間デザインを手掛け、独立後は、シンガポールを拠点にデザイン活動を行いました。
「一般にデザイナーは、クライアントの求めるモノを形にする仕事です。では、自分自身でゼロからデザインしたら、どこまで世の中に通用するだろ。それを試したい気持が強くなっていきました」と山田さん。佐藤岳利さんというパートナーを得て「WISE・WISE」を設立したのは、ショップを通じてデザイナーとしての能力を世の中に問うためでもありました。
しかし設立当初、オリジナル家具を作ってくれる国産家具メーカーはなかなか見つかりません。そこでインドネシアのメーカーでラタンの家具を作ったところ、モダンで有機的なフォルムはたちまちWISE・WISEの顔となり、ブランドの確立に貢献しました。
そして今も、山田さんの挑戦は続いています。
ミネルバの宮本茂紀さん(Colla:J 2011年3月号)や、山形の朝日相扶製作所、YKさいほく等の力を得て家具開発を進めながら、山田さんが培ってきたパートナー達と協力し、風通しのいいモノづくりと販売システムの確立を目指しているそうです。その他、リゾート施設の店舗開発など、様々な計画が動きはじめています。
葉山に移り住んで10年。自宅の設計も山田さん自身によるものです。葉山との出会いは、WISE・WISEのカタログ撮影のため葉山のスタジオに通ったことでした。当時は撮影プランも自分で手掛けるほど、カタログ制作に入れ込んでいたそうです。
今は少年サッカーのコーチをつとめるなど、住民同士の交流を大切にしています。「葉山は結束力が強く、人情のあつい土地です。家族ぐるみの付き合いをふかめ、楽しみ方を教えてもらっています」と山田さん。デッキから見える富士山や日々表情をかえる海、美しい花々の姿から、山田さんはデザインのインスピレーションを得てきました。この春、高校生になった息子さんは山形へサッカー留学。娘さんは森山神社へ、お囃子の練習に通っています。
catacanaの第一作「CA-101」は、古代ギリシャのクリスモスチェアをモチーフにしたそうです。フレームはオーク材で、座面は上質なコードバンの革を編んでいます。「椅子の原点に立ち戻ってから、デザイン活動を再開したかった」と山田さん。暮らしに関わるもの全てをデザインし、製造から販売まで全てを手掛けたいという欲張りな思いは、いまも変わることなく健在でした。
ふるきよき古民家の園「桜花園」
葉山周辺の古い別荘、農家、蔵など、思いでのかけらをぎっしりと詰め込んだ古材・古道具ショップがあります。
静かな山里だった葉山町・山口地区も、最近は宅地化が進んでいます。その一角にある「桜花園」は、大工の下小屋を改装した店舗で、民家や蔵、別荘などを解体した古材・古道具を大切に整理して販売しています。入口の石段には、地元産の佐島石が使われていました。
工房楽記イタリアン【Aランチ】
今、カタログを作っている。
いつも、毎年のことだ。
カタログと言っても、今までの総合商品カタログとはちょっと違う。
「商品おもしろカタログ」とでも言いましょうか。
商品のエッセンスを堀りさげ、クローズアップしてもらう。
物語のような、TV番組のような小冊子です。
制作してくれているのが「Aランチ」
「Aランチ」は、広告デザインプロダクションです。
コラージ仲間の収納ギャラリーのカタログ「収納百景」や「収納手帖」(9ページ)も、このAランチの作品です。
ほんとに、作品と言いたくなるぐらいの中味です。
「収納手帖」は1年がかりで作ったとのこと。
企業のもっているホントの中身をクローズアップするには1年間がかりの濃い時間が必要なのでしょう。
大谷社長とのコラボレーションが、うらやましいかぎり。
Aランチのスタッフ4人の愛情に、あふれている。
BC工房の「生活工芸の本」と称するカタログを、毎年のように作ってきたパートナーが「Aランチ」なのです。
「学食のAランチ」より、ちょっとレベルがうえの楽しい陽気な「イタリアン Aランチ」でしょうか。
4人の小さな店ですが、必死で考えてくれるオリジナル・レシピは、なかなかスゴイ。
そんじょそこらのレストランより、ちょっと味が深いのだ。
やりすぎぐらい楽しんでいるレシピが、オイラは大好きだ。
クライアントの要望を超えてしまう情熱があるのもいい。
単なる広告カタログじゃ、つまんない時代だ。
広告というより、「商品力をクローズアップさせる表現」
「企業の考え方を掘り下げる探求力」のコンサルをしてくれる。
カタログを作る時、いつも、Aランチの皆に教えられ、うれしいキモチになる。
これで、きっと売れる?
これで、きっと出逢いが生まれる?
「コレデ」を、予感させてくれる「ワクワク」が、いい。
Aランチと今回の仕事を始めて3カ月、5月いっぱいには完成しそうだ。
「BC工房の仕事」と「Aランチの仕事」のコラボの紙面を、ちょっとだけ コラージで公開したい。
富士山の撮影スポットとして人気の「秋谷の立石」。
広重の描いた浮世絵そのままの場所といわれます。
食で野望を開墾する「SYOKU-YABO」の一日
横須賀市・大楠山登山道の入口に「SYOKU-YABO」の看板を発見。細い山道を入ると、こつ然と畑が現れます。
ミュージシャン・眞中(まなか)やすさんが、2年の歳月をかけて開拓した「食の野望」。無農薬・有機野菜を作りながら、郷土食の手法を使った食事を提供する活動を続けています。
屋台で「糅飯(かてめし)」を作る眞中さん。かてめしとは米に野菜や海藻、雑穀などをまぜた日常食のことです。限られた食物を大切に分け合ってきた、日本人を象徴する食事のひとつです。
ランチには「かてめし」に、味噌汁と小鉢、甘味をつけた日替わり定食を提供しています。この日は、干し大根と豚ひき肉の魚醤かてめし、アラメ(海藻)と醤油かてめし、ホウレン草の塩かてめしの3種でした。
日本の食に欠かせなかった発酵食品。味噌や醤油、魚醤などの大切さを伝えていきたいと眞中さん。
全国から自分の舌で選んだ約40種類の味噌を用意し、メニューから好きな味噌を選べるよう工夫しています。ずんだ味噌や米味噌など、味噌の種類はこんなにあるの!と驚きました。
「食の野望」の施設を手掛けてきた一柳隆之さんは、眞中さんの小学校からの同級生。代々続く逗子の大工の家に生まれ、普段は住宅・店舗のデザイン・建築を手掛けています。この日は小屋の仕上げにかかっていました。スギナの茂る気持のいい場所で作業を進めます。
夏の日差しをさえぎるために考案した、アシをパネル状に束ねた日除け。「数年つかって自然に戻すという考えも大切だね」と一柳さん。現場で余ったり、分けてもらった材料を使い、創意工夫しながら眞中さんのイメージを形にしてきました。
新作の小屋は、地形にあわせ微妙なアールをつけたデザインです。施設はできるだけ目立たず、景色に溶け込むようにが眞中さんの注文。それに応えるため、梁(はり)と柱のジョイントや、腰の部分に入れたフレームなどに、斬新なアイデアと高度な技術を駆使しています。
「 現場で捨てられていく木材を活かせることや、自分の仕事を喜んでもらえることが一番うれしい 」と一柳さん。
眞中さんの父上も、家具づくりに協力しています。この日は天気もいいので、天然木を脚にした小さなテーブルに色を塗って仕上げていました。一柳さんに自宅のリフォームを依頼した際、その仕事ぶりに感銘をうけ、物づくりに目覚めたそうです。
眞中さんはいま、自家製のアズキ味噌づくりに挑戦中。山形から米麹を取り寄せ、これから仕込みにかかります。自分も味わったことのない幻の味噌だそうです。
谷戸(谷間にある土地)として放棄された休耕地を2年間かけて開墾し、畑に戻した眞中さん。「これから休耕地や里山を復活させるためには、心地よい空間やイベントを企画して人を集め、農業を継続できる新しいスタイルを考えることが大切」といいます。自らの実践よってモデルを示す眞中さんの活動は、里山再生を目指す横須賀市からも注目されています。大学を卒業し、4月に加わったばかりの戸枝さん。日本大学生物資源科学部の研修で「食の野望」を訪れたことがきっかけだったそうです。外からみるイメージと、中で働くことのギャップは大変なもの。皆がくつろぐ横で、モクモクと草刈りを続けていました。
農園の作物は、米、ヤーコン、里芋、セロリ、ニンニク、ニンジン、ネギなど多種多様。4月のはじめは堆肥を入れた土づくり、その後は作付けと、忙しい日々が続きます。
キツイ労働に耐えかね、新人は数カ月でやめてしまうことも多いそうです。「ここで農園運営の基礎を学び、いずれは長野の実家を継ぎたい」と戸枝さん。
眞中さんの友人ミュージシャン・佐竹 研 さん一家。「食の野望」を知って、数年ぶりに眞中さんと再会したそうです。「これからのミュージシャンの表現方法は多様化していくと思います。眞中さんのような生き方もいいと思いました」と佐竹さん。市街地から車でわずか10分ほどの場所で、見知らぬ人々との出会いが不思議と生まれていきます。
ミュージシャン西城生馬さんとのコラボレーションで毎月「Coffe&Music」というイベントがひらかれています。世界の美味しいコーヒーとステージの生演奏をゆったり楽しむイベントです。次回は4月29日(日)の昼から。眞中やす&西城生馬をはじめ、佐藤嘉風、Munchy Vibes、satchicaなどが参加。
大楠山(おおぐすやま・海抜241m)を象徴する巨大なクスノキは「食の野望」のシンボルツリーです。大楠山の頂上からは三浦半島を一望でき、人気のハイキングスポットとなっています。
葉山の子どもは海に育てられる
海を大切にする子どもを育てるため、海洋自然教育を実践する「NPO法人オーシャンファミリー海洋自然体験センター」を訪ねました。
葉山御用邸の脇を流れる下山川を境に、ふたつの砂浜(大浜海岸・一色海岸)が広がっています。その近くに、子どもたちに海の素晴らしさを教え続ける「NPO法人オーシャンファミリー海洋自然体験センター」があります。葉山出身の代表理事・海野(うんの)義明さんは幼い頃から海に親しみ、より深く海を知りたいと三宅島に移住しました。そのとき世界的な海洋学者・ジャック・モイヤー博士と出会ったことが、子どもを対象とした海洋自然教育をはじめるきっかけになったそうです。
博士達と協力し、1993年から島の小学校でシュノーケーリングを教えたり、サマーキャンプに都会の子どもを招き、御蔵島のイルカと遊んだり、様々な教育を実践しました。子どもの頃から海に親しみ、海を大切にする心を持った人を育てたいという思いがありました。
海野さんの海に対する熱意は徹底しています。海を最もよく知るのは漁師ということで、素潜り漁の漁師になったほどです。そんななか、海野さんをはじめ島民の生活は、2000年の三宅島大噴火によって一変します。全員が島を離れ、海野一家も生まれ故郷の葉山に戻りました。そして葉山で海洋環境教育の取り組みを再開したのです。
オーシャンファミリーの活動には年に数百人の子どもが参加し、海洋学者を目指す若者も育っているそうです。現在は葉山の子ども達を中心に、年間を通じて「磯遊び」、「シュノーケーリング」、「シーカヤック」などの海洋体験や、基礎体力をつくるスポーツプログラムを実践しています。また指導者の育成や、海辺の清掃活動にも取り組んでいます。
「子どもは海で元気になる」
モイヤー博士、中村泰之、
海野義明 共著
早川書房刊
三宅島での海洋自然教育活動の記録。子どもたちの感想文からは、海や生き物に対する素直な感動が伝わってきます。イルカなどに接する際に必要なスキルや、心構えも学べます。
海岸に出ると、下山川にかかる橋から歓声が聞こえてきました。オーシャンファミリー主催「葉山ニッパーズ」の子どもたちです。葉山ニッパーズは放課後を利用した小学生向けのスポーツ教室で、週一回、葉山の海や山を駆け回り、基礎体力をつけることが目的です。活動の拠点となる一色海岸は、遠浅で子どもたちの遊び場にぴったりの砂浜です。
今日は今年度第一回目の教室です。みんなで記念撮影のあと、さっそく浜辺を1kmほどランニング。裸足で浜を走り回ります。
海野佳子さんに海岸を案内していただきました。ここは御用邸前の「小磯」です。竜の背骨のような磯場に立ち、海野さんは次々に生き物を見つけだします。脱皮したカニの殻やヤドカリ、イソギンチャク、アメフラシの卵などなど。ちょっとしたヒントを与えるだけで、子どもたちは生き物を発見し、観察する能力を身に付けていくそうです。
準備運動のあと、砂浜でダッシュを繰り返す子どもたち。後ろ向きに走ったり、友達をおんぶして走ったり、結構ハードなプログラムです。大浜海岸に打上げられた新鮮なヒジキを持ち帰り、食べてみましょうと海野さん。真っ黒なヒジキのイメージとは全く違う、グリーンサラダができました。「ワカメやヒジキ以外にも美味しい海藻は沢山あるので、みんなに伝えていきたい」そうです。ランニングのあとボール遊びを楽しみました。最初は裸足を嫌がっていた子どもも、毎週少しずつ運動することで、たちまち逞しくなっていくそうです。最後は海にむかって感謝のお辞儀で終了します。