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時空を超える美意識
10周年記念特集 2017
http://collaj.jp/
小誌連載「工房楽記」でおなじみ BC工房代表の鈴木恵三さん。今年の正月は、ふじのリビングアートギャラリー(神奈川県相模原市緑区藤野)の一画に建てた陶芸工房「これなんだ研究所」にて、作陶三昧の日々を送っていました。
笠間在住の陶芸家であり、鈴木さんの盟友・藤本均さんのアドバイスにより、四角い花入れを作り続けています。土を四角く形づくった後に、電子レンジで加熱して固めてから、ヘラで削り落としていくという、藤本さん直伝の技法です。
藤野の山なみを眺めながら作陶を続ける鈴木さんに、今まで語られることの少なかった、BC発足以前のことをポツポツと伺いました。大学卒業後、鈴木さんは西武百貨店に入社。主にチラシ、新聞広告、ポスター、DM、カタログなど販促物の企画・制作を手掛けます。1970年代の西武百貨店は、堤清二氏のもと関西への出店など、数々の巨大プロジェクトが始動しセゾングループの基礎が築かれた時期。同時にメセナ活動も活発で、鈴木さん藤本先生のお手本。は堤 操さん(清二氏の母)の陶芸展の DMを担当するなど、若手のディレクターとして活躍しました。ファッション広告の制作会社に転職した鈴木さんは、三宅一生さん、菊池武夫さん、山本寛斎さんなど DCブランドの先駆者と出会います。「一生さんは最後まで粘る。必ず褒めるけれど、ここもうちょっとと言ってガラッと変える。それを 4、5回くりかえす」そうした粘り強い仕事の中から、鈴木さんは大切なものを汲み取っていきます。そして今から 40年前、青山第一マンンションズ(表参道)に事務所をかまえ、ファッション関連の雑誌やカタログ制作を手がける他、家具業界にも関わるようになっていきます。
鈴木 惠三(BC工房 主人)
工房楽記Aランチのノリとホシナ
2017年の正月は、ひとりで「土遊び」。土を少しずつ「削りとる」遊びが気に入ってきた。「日々の積み重ね」が、モノづくりだ。と、若い皆にずっと言い続けてきた。「積み重ね」と「削りとる」のコトバの違いは、
実は、いっしょの根にあるのかな?などと、最近思えてきた。
今、「
Aランチ」として独立したデザインプロダク
ションの「ノリとホシナ」は、
私の大切なパートナーであった。
徹夜でやってくれたプレゼン案を、ダメ出し、ヤリ直しをカンタンに言うオイラは鬼であっただろう。「積み重ね」を「削りとる」のがディレクターとし
ての仕事、と信じていたかな?どんなに嫌われようがいいんだ、と自分に言い聞かせていた。信念がズレたら負けだと、思っていた。
「ノリとホシナ」は、
Aランチとして、 BC工房の
上をいく存在に成長してくれた。
B C工房の良きパートナーとして、グラフィックデザインを
やってくれる。
「ギャラリー収納」や、「テーブル工房 KIKI」、「宮崎椅子製作所」の仕事も Aランチである。たまに褒めると「鬼もやさしくなった」と、年寄り扱いされる。まあ仕方ない。たぶん2人は、「削る」ことがうまくなった?デザインは、積み重ねたり、削ったりの土遊びのようなもんだ。と言ったら、叱られるかな? BC工房が、今年で40周年である。40年、積み重ねてきた椅子デザインを見つめ直し、少しずつ「削りとり」のデザインの遊びをしたい。陶芸の土遊びのように、皆に迷惑をかけないように。ヤリ直しの徹夜は、オイラがやる番だ。
Aランチデザインの日経新聞向け折り込み用チラシAランチ 東京都渋谷区神宮前3 -38-11 原宿ロイヤルビル7D TEL.03-3404-1153 FAX.03-3404-1152
リビングアートギャラリー
日本の家具史を振り返る展覧会を企画したり、柳宗理さんや渡辺力さん、長大作さん、白石勝彦さん、葭原基さんなど著名なデザイナーとコラボレーションする一方、小泉誠さん、村澤一晃さんなどの若手を発掘。独自の家具づくりをスタートさせました。「季節ごとのコレクションを発表し続けるファッション業界はめまぐるしくリアリティがない。その一方、家具は自分本来の感性にあっていた」と鈴木さん。とはいえ、ファッションに比べ家具メーカーは年に数点しか新作を出さない世界。次々と新作を発表するBC工房に対して、もっとじっくりと完成度の高い家具に取り組むべきという声もありました。
昨年リビングアートギャラリーで開催された「小泉誠 地味のあるデザイン展」には沢山の人が訪れました。展覧会のプロデュースも、鈴木さんのライフワークのひとつです。
つれづれなるままに第33 回京の雪化粧と舞妓さん内田 和子
四季の美しさはどこを取っても絵になる京都だが、雪の降るタイミングで訪れるのは難しい。冬の京都は底冷えで寒さも半端ないといわれれば、観光は春まで待とうとなるものの、今回は舞妓さんの撮影会があるとのことで申し込んでみた。
出発日、東京は晴れていたが、名古屋を過ぎると景色は
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一変。窓の外は一面真っ白で吹雪いている。のぞみも今日は速度を落としているので、伊吹山や米原の雪景色を味わいながら 分遅れで京都に着いた。すでに雪が積もり交通は渋滞。雪道に足を取られながら宿に着いた時はすっかり日も暮れていて、河原町あたりで食事と思っていたが、東京駅で買ったおにぎりが夕食となる。
夜が更けてもシンシンと雪は降っている。明日の撮影会は中止かと思いつつ、
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雪の金閣寺も悪くないとカメラの準備を終えてバタンキュー。翌朝はどんよりと雪はまだ降っていたが、だんだんと青空も見え始め、集合時間には長いレンズをつけたおじさまやおばさまがゾロゾロと集まってきた。
中には2台も首から下げている方もいて、親しげに挨拶
している。なんだこの方達はと思ったら、ほとんどが常連
さん。舞妓さんの撮影は3年目だそうだが、あちこちの撮
影会で顔を合わせているという。参加者は全部で 名。募
集と同時に定員一杯になるそうで、私はキャンセル待ちで
急遽の参加だったが、初参加は私一人とわかり一瞬たじろ
いだ。が …今更「ヤンペ」とはいえずタクシーに分乗した。
撮影現場は白沙村荘という日本画家・橋本関雪の邸宅である。1万㎡の庭園には茶室や離れがあり、小さな池には橋もかかる。雪は止んだものの、あちこちかなり積もっている。講師でもあるプロカメラマンが、舞妓さんを立たせる位置を決め撮影が始まる。舞妓さんは当代売れっ子
つれづれなるままに京の雪化粧と舞妓さん
No.1とのことで、撮影した写真はインターネットに掲載しないよう注意された。さすがホンマもんの舞妓さんである。所作が実に美しい。可愛らしい顔立ちで、後れ毛を直す仕草、裾を合わせるしなやかさ。
寒さのなか1時間半もの間、多くのカメラを向けられ立ったり座ったり、その度に身づくろいを整え優雅にポーズをとる。京都に行っても舞妓さんとすれ違うことは滅多にない。ましてこれほどまでに舞妓さんを見続け、無遠慮にカメラを向けるなど初めての経験である。仕事とはいえ舞妓さんのプロ根性に何度も感心をした。それでも若いお嬢さんである。手先が赤くなっているのが気の毒で、ホカロンを差し出した。「お姉さん、おおきに。ほんまあたたこぅどす。」と笑顔で返され、なんと健気なと、またまた感心。時折雪が舞い、太鼓橋では足を滑らせないかと、いつの間にか置屋の女将のような心配をしたり。
カメラは全てオートにしたまま。望遠レンズで多少のフォーカスは可能だが、ほとんど他の撮影者が入ってしまう。プロカメラマンは一応のポーズを注文するが、みなさんひたすらシャッターを押し
つれづれなるままに京の雪化粧と舞妓さん
ている。様子見でいたが恐る恐る「ちょっと左に顔を向けてください」などと、前の方に陣取って舞妓さんにポーズをお願いするなど、ド厚かましいことこの上ない新参者となっていた。
講評会のため3枚の写真を選ぶようにいわれ、その選考基準を聞くと「自分が素直に出したいものを出しなさい」と言う。700枚近くから選ぶのは容易ではない。それでも若い舞妓さんの愛く
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るしい表情や仕草がひょこっと出ているものがある。そんな3枚を選んだ。
講評会は、食事をとりながら、実に3時間。参加者全員が自分で選んだ3枚(合計 枚)をパソコンに取り込む間、過去の撮影会の写真を流している。ぼかしや陰影が見事で、写真愛好家の域を超えている。場違いなと70ころにいると講評を取り下げたいと申し出るが「いやいや」と取り合ってくれない。ならば最後にしてくれと言うと、最後は「トリ」だから評価が厳しいという。覚悟を決めて、
「舞妓さんの愛らしい表情が出ているのを選びました」と言うと、あにはからんや
「構図がいい」と褒められ
た。初めてだし、かなり甘い評価だとわかっていても、悪い気が
しないのは困ったものだ。時々「いいね〜」という声を聞くのが
たまらんのもわかる気がする。
翌朝、金閣寺へ向かうタクシーを頼んでいた 代のご婦人に便
乗させてもらうことにした。ロビーで待ち合わせていると、食事
を済ませ朝風呂にも入ってきたという。ホテルからほど近い金閣
寺、開門前から列ができていた。雪の反射を受けて朝日が映り込
む金閣寺は初めてである。「写真は一瞬」といった講師の言葉を思
い出す。順路に従って一回りするが、雪の中に見え隠れする金閣
寺もまた美しく絵葉書そのものだ。
思いがけない雪の京都。写真に収めた美しさは、 2017年最初のアルバムとなった。
T邸では壁面収納システムなど空間全体を手掛けました。何度も現場に通い、職人と対話しながら施工を進めます。
創業 30周年を LES ARCS(レザルク)は、東京・西新宿のリビングデザインセンター OZONEを拠点として、3,000軒以上のキッチンや家具、インテリアのデザイン、施工を手掛けてきました。T邸のアイランド型キッチンは、電動昇降システムで棚やレンジフードが上下し、天板にフラットにおさまります。
勉強・家事スペースは、プラップ式扉や引出し式テーブルを組み合わせた驚異的な収まりでビルトインしています。
天板をフラットにすると、キッチンは家族の集う場所になります。壁面いっぱいに作られた収納には、冷蔵庫や食器、食品ストッカーの他に、子どもたちの勉強場所や家事スペースもビルトインされています。様々な種類のシステム金物を使いこなすことで、精度の高いシンプルなデザインと使い勝手を両立させたキッチンスペースが実現します。
リビングデザインセンター OZONE(西新宿)7階のショールームにて、レザルク代表の牛山喜晴さん。30年間にわたりキッチンを手掛けてきて「食は人間の根本にあって、それを家族のために作り、食べる場所を作ってきた。食事はやはり生活の要だから、そこに携わって来られたことが嬉しい」と語ります。
M邸は女性らしさをもった柔らかな雰囲気のインテリア。収納力の高い TVボードには、バイオエタノール暖炉「Ecosmart fire」をビルトインし、背面にブロンズミラーを嵌めています。
コ字型の使いやすいキッチン。シンク奥の調味料や調理器具をしまう棚は電動昇降式になっています。
「僕らの仕事は、依頼主が本当に欲しいと思う空間の姿を一緒に探して形にするような仕事。他で出来なかったことを、ここなら実現してくれるという期待をもって来る方が多いので、デザインの進む方向は日々考えている。海外の見本市にもいくけれど、むかし通った美術館などを再訪すると、前とは違ったものが見えてくる。そうした体験からデザインが生まれる」と牛山さん。寝室に備えられたミニキッチン。帽子やアクセサリー収納も兼ねていて、キッチンを感じさせないデザイン。側面も棚になっています。要望に合わせてゼロから作られるキッチンや家具はプロトタイプの積み重ねともいえ、エネルギーが必要な仕事です。
M邸洗面カウンター。
指で触れても段差が分からないコンマ以下の精度を目指した、質の高い物づくりもレザルクの特徴で、国内の熟練した職人たちとコラボレーションしながらものづくりを進めています。。1月16日からドイツ・ケルンで開催される「imm cologne」や1月20日からパリで開催される「メゾン・エ・オブジェ」視察のため、牛山さんは、ヨーロッパへと旅立って行きました。
小林 清泰アーキテクチュアルデザイナー ケノス代表
アムステルダムの、見えないスーパーマーケット
前号のドイツから、オランダに移動しました。フランス・パリはいうまでもなく「ルーブル」をはじめ、印象派美術の「オルセー」など世界的な美術館が並ぶ美の都ですが、オランダ・アムステルダムも、それに匹敵する美術館が目白押しです。なかでも中央駅からみて南西方向にあるアートスクエアアムステルダムとミュージアム広場と呼ばれる一帯には、それを囲む様に見応えたっぷりの大型美術館が集積しています。主なものは
「アムステルダム国立美術館」、Zチェアーで著名なゲリット・リートフェルト設計の「ゴッホ美術館」、「アムステルダム市立近代美術館」等です。また後述のアムステルダム・コンセルトへボウ(コンサートホールの意)もこの広場に面しています。中央駅からはトラム(低床型の市電)で 15分程で着きます。
一日フリータイムが組まれていたので、上記のうち2館の訪問を予定に入れましたが、本当の目的はもう一つ別にありました。
美術館に囲まれた広場に、地中化されたスーパーがあります。
朝一番に目指したのはアムステルダム・コンセルトへボウで当日チケットの良い席を確保をするためです。10時に到着しましたが、正面入り口は閉まっていたので、時計回りに建物を半周し、館内へ入りチケット販売窓口を探していると、高い脚立の上でペンキを塗っていたお兄さんが、親切に当日券販売はあの奥で午後1時からだと教えてくれました。(お兄さんはジーンズとTシャツ姿でペンキを塗っていたのですが、きれいな英語で説明してくれました。いろいろ詳しかったのでコンセルトへボウの職員だったのでしょうか)。
午後まで時間があるので「アムステルダム市立近代美術館」を先に回ろうと決め、ミュージアム広場側へ道をわたり、歩き始めたらそれは突然現れました。広場の芝生面が歩道に沿って緩い傾斜でどんどん高くなっていくのです。その先にはパーキングのサインがあり、車が一台、芝生面の下をくぐったので「ああ」と思いながら歩を進めると、高くなった傾斜芝生の先端近くにブルーのサインが現れました。「Albert Heijn(アルバート ハイン)」とあります。仕事柄、即ピンと来ました。「これは地下に埋まったスーパーマーケットだ!」。小さなエントランスホールの奥にエスカレーターが設置されていて、ワンフロアーおりると、そこは地下駐車場です。スーパーマーケットへの出入り口と、少し離れてゴッホ美術館方向へ昇るエレベーターの出入り口があります。美術館とスーパーマーケットのどちらにも利用できる公共パーキングなのでしょう。そして地下2階部分がお店です。広さは 300坪位でしょうか。生鮮品をしっかりそろえた普段使いのスタンダードな品揃えで、雰囲気は日本のスーパーとほぼ変わりません。異なるのはうるさい POPが無いくらいでしょう。レジのゾーンは照明で強調されていて、明るくソフトな印象でよく目立ちます。
感動的なのは、その外観デザインです。広場側のどこからみても、広々とした青い青い一面芝生の広場の一角が斜めに盛り上がっていいるだけで、広場側からは店がある気配も何も感じられません。その傾斜した芝生の上では、子供連れやカップルが寝そべったり、日光浴をしたりしてくつろいでいます。山や丘のようななだらかな自然の曲線ではなく、一定角度の人工的な傾斜としていますので、背景となる市立近代美術館の人工的で
傾斜した芝生がスーパーの屋根にあたる。後ろに見えるのはベンサム・クローウェル設計の市立近代美術館増築棟(通称バスタブ)。
スパッとスカイラインを切りとった屋根と見事にマッチします。傾斜した芝生スペースはスーパーマーケットの屋根の一部なのです。勝手な推察ですが、この計画は一企業が独自に行ったものではなく、周辺の文化施設と商業施設をどう両立させるか、都市景観をふくめて自治体と研究したものと思われます。アムステルダムという都市の中で最も文化的に価値の高い場所のイメージや価値を下げないよう、出店する商業者に深い理解を求め、この店を利用しようとする客層に対しても周辺施設との相互関係の意味を広く説明したのでしょう。市民の側からみれば美しい景観が保たれつつ、普段の生活に大きな利便性が生まれる計画ですから、きっと大きな賛同、支持を得られたのでしょう。
地下に作る施設は工事費が膨らみます。電気、空調、衛生等の各設備、エスカレーター、エレベーターや階段、避難階段や消火等の非常設備も重要です。また店舗を運営するためのオペレーションコストも嵩みます。特に地下深くまでの商品搬入や逆方向の食品残渣やゴミ搬出など数え上げれば切りがありません。但し温熱環境設備などのエネルギーコストは大幅に下がります。地中の外壁や緑化屋根からの熱エネルギーロスは地上の店舗に比べ大幅に減らせますから、立派なエコストア
スーパーのエントランス。屋根の上は芝生の傾斜になっています。
駐車場の出入り口。駐車場は地下 1階に位置しています。
と言えます。ここには地域の景観形成への配慮が強く感じられます。人間の身体と頭脳に快い刺激を与る傾斜を備えた開放的で自由な広場機能、そして省エネルギーで運営される施設の導入等「コミュニティー形成のこれから」に相応しい「こう在りたい」という要素すべてが詰まっています。本当の地域計画、都市計画です。
このスーパーを運営するアルバートハイン社はガリバー企業で、オランダ国内だけで約 700店舗あり、シェアは約 30%。ロイヤル・アホールドの子会社です。今回の旅は半分オフタイムのつもりでした。仕事としての視察ではないので、この突然の出会いはびっくり半分、感動半分でした。コンセルトへボウへは12時半に戻りました。まだ誰も来ていなく一番先頭です。この日は「マーラー交響曲 2番」のみのプログラムで、一曲が 90分以上の長いものです。このオーケストラはマーラーが得意でよく取り上げるとの事。当然人気が高いので普通の席はもう無く、指揮者を左斜め上からみるオーケストラの後方席で、混声合唱団の横でした。ヨーロッパではウイーンフィル、ベルリンフィルと並び称されるコンセルトへボウです。洗練されたすばらしい演奏でした。次回は正面で必ずと決意しました。 ■
まるで飛行機のファーストクラスのように機能と快適性を集約したリビングスペース。畳は添島勲商店製。
Pシステムは「住まいの中に建築を」をテーマとしたシリーズで、主にマンションリノベーションを対象としています。今までは壁を立てて仕切った部屋割りを、システム家具によって構成する試みで、例えばリビングでは、AVボードの向かいに畳式のソファコーナー(テーブル付き)を置き、横になって休める快適性と、映画鑑賞、情報収集などの機能を集約しています。寝室コーナーにはベッドの他に、壁面一杯のオープン本棚(Vシリーズ)やパーティションを兼ねた小さなクローゼット、パーソナルデスクなどを集約しています。パネルには溝がついていて、コレクション収納「Bシリーズ」を取り付けられます。寝室を個室にするのではなく、収納家具をパーティションにして、リビングなどと一体にする事も可能です。カウンター式のダイニングコーナーには、キッチンに必要な機能を集約。収納をたっぷりとることで、ストレス無く料理を楽しめます。パネルを組み合わせて空間にあわせた設計が可能で、造り付け家具や内装工事よりも短時間で制作・施工できるのも特徴です。工期の短縮は、リノベーション費用の節約につながります。銀座・歌舞伎座の近くにある「ギャラリー収納銀座」にて、代表の大谷竹男さんに話を聞きました。「Pシステム」を開発した背景には子育てを終えた世代の都心回帰があり、利便性の高い都心の中古マンションを購入し、郊外の戸建住宅から引っ越すご夫婦が増えています。「大きなリビングに皆が集うという家族像は、すでの過去のものと思います、実際の暮らしに必要な機能を、DIY感覚で選べるのが Pシステムの特徴」と大谷さん。例えば夫婦のベッドをパーティションでゆるやかに仕切ったり、パーソナル感覚のリビングに書斎機能を加えるといった、現実の生活にフィットしたプランが可能です。
MDF製の模型を組み合わせることで、部屋のイメージをつかみながらプランを進めていけます。「CGよりも模型の方が、現実の空間を把握してもらえる」と大谷さん。
いま大谷さんは、銀座に「Pシステム」を展示した「ギャラリー収納銀座リノベーションショップ」を計画中です(春ごろオープン予定)。70坪のフロア内に 80㎡クラスのマンションの一室を作り、生活を体感できるショールームになります。青山に一号店を出店してから約 30年。世の中にない新しい家具を提案したいという熱意を、今再び、感じているそうです。
吉田龍太郎( TIME & STYLE )
燃えよドラゴン龍太郎
31 そんな国に私達は住んでいる
2017年、年明けから早々にベルリンに来ることとなった。世界は混迷している。ドイツはシリア難民を最も多く受け入れてきたが、難民に寛容な政府に対するドイツ人の態度も次第に硬化してきているのを感じる。タクシードライバーはベルリンに到着して早々に、難民による犯罪の増加を嘆いてきた。街のそこら中に難民に解放した施設があり、シリアを中心とした難民が溢れている。一度国を出た難民は、自国へは戻らないとタクシードライバーは言っていた。心ある市民からは、難民への物資や洋服、食料の寄付が絶えない。
しかし食事に入ったレストランでは、難民と思われる若者達が無銭飲食をして悪気も無く騒ぎながら店を出て行き、一般客のバッグが盗まれ、中身を抜き取って外に捨てられた。狂気だ。それでもメルケル首相が難民の受け入れを止めようとしないのは、第二次世界大戦でドイツが背負った十字架の重さを今も背負い続けることが、この国に課された運命であることを示すのだろう。この国家の懐の深さと寛容性には、国民に重い負担を強いながらも世界の苦難に立ち向かう正義を見ることが出来る。
そんなベルリンの街でも、クリスマス直前に街の中心部のカイザー記念教会のクリスマスマーケットに大型トラックが突っ込むテロによって、十数人の死者と多くの負傷者が出た。カイザー記念教会は、第二次世界大戦で破壊された教会を壊れたままにすることで戦争を忘れないよう保存されている。日本でいえば広島の原爆ドームのような場所でテロが起こってしまったのだ。多くの難民を受け入れ、その犠牲を国民に強いてきたドイツ政府も、これからどう進むかが問われている。
イギリスの EU脱退が決まり、アメリカでは不動産会社社長が大統領になる。そしてフランス、イタリア、オランダ、ドイツでも極右政党の議席数が飛躍的に伸びているのを見ると、世界の国々やその国民は、自国民を守る為に内向きな思考へと大きく動いている。大きな戦争の前には必ずファシズムが台頭することは、歴史が証明している。そんな 2017年に私達は生きている。さて、日本は本当に平和なのだろうか。私達の国や政治は未だに自立出来ずに、アメリカの顔色をうかがいながら日米安保にしがみつき、戦後の沖縄の人々の苦難を少しも解消していないし、市民の代表者である知事を訴える暴挙に出た。沖縄の人々を日本国民と考えて守るのか、アメリカを守るほうが日本にとって大切なのか。日米安保など新しいアメリカの大統領には意味を持たないだろう。そこにしがみつく日本の政治家を選んでいるのは国民なのだ。政治家は国民の代表である。国民の声や気持を反映したものが政治だ。
年代以降に多くの国民が北朝鮮に拉致されて既に 年以上の月日が経過したが、小泉首相の時代に僅かな人々が助けられて以降は一切の動きがない。国民が拉致されている事実が明確にありながら、 年以上その現実の中で苦しんでいる拉致された人々や親の気持ちを政治家はどのように感じているのだろうか。数名の拉致被害者が帰国して以降、日本は被害者に対して事実、何も出来ていない。これが正しい国の政治だ40ろうか。
2011年に起こった東日本大震災に40よる津波によって多くの人々が犠牲となった。精神的な負担と体力的な苦痛を強いられてきた多くの被災者の人々は未だに全国に飛散したままである。しかし、その多くの年老いた人々は未だに仮設住宅での生活から抜け出すことが出来ていない。事実としては公表されていないであろうが、多くの人々が震災の記憶から精神的な病に陥り苦しんでいる。国防費をアップするよりもいち早く、福島原発の根本的な廃炉への対策に国家予算を使うべきでは無いのか。今も多くの人々は放射能の飛散する地域で暮らし、また、原発からの汚染した地下水は海へと流れ出していることだろう。
昨年に起こった熊本の地震を、政府は、私達一人一人は既に過去の
こととしてはいないのだろうか。現地では、被災した建物を再建する
目処は未だに立っていない。多くの人々が仮設住宅で不便な暮らしを
送っていることが現実にある。しかし、メディアは報道する責務を放
棄しているし、報道の自由も政府によって事実上規制されている。私
達は本当の事実を知らされてはいない。
近年の事実を列挙しただけだ。そんな国に私達は住んでいる。
さて、このような国の責任は誰にあるかを考える時、やはり私達、国民、ひとりひとりに責任があると言う結論に帰結する。
Cosmetology Renaissance
Nishizaki Katsuji西崎克治ニシザキ工芸(匣屋深川)
江東区三好 2丁目の木材塗装工場。最高レベルの空気清浄装置や演色性の高い照明器具を備えています。
ニシザキ工芸は、江戸指物師の西崎兼吉にはじまります。大正時代から深川で茶箪笥や火鉢、文机などの指物を手掛け、神楽坂の直営店をはじめ日本橋三越、木屋などでも扱われた腕のいい和家具職人でした。戦後は婚礼箪笥や特注家具を手掛けましたが、3代目の西崎克治さんによって、家具の塗装技術を活かした木材専門の塗装工場となりました。単に木材を塗装で覆うのではなく、デザイナーや設計者の望む色彩や質感を、どのように表現するかがテーマです。見本に色を合わせるだけでなく、塗装後の色合いを想定した調合が不可欠です。
深川の各町会から 53基の神輿が集結する「神輿連合渡御」。大規模な交通規制が行われ数十万人の観客が見守る中、安全第一に神輿を運行させるのが、総代の大切なつとめです。
木材塗装は奥深く、素地調整や下塗り、研磨、中塗り、上塗りといった多くの工程を設計し、木の美しさを引き出していきます。自然な木の表情を活かすためには、樹種の特性や塗料の性質を熟知することが必要で、美術大学やインテリア業界出身の塗装技能士たちが、日々新たな表現に挑戦しています。
1990年、家具製造から木材塗装へと転換したきっかけのひとつは、都市化の進む深川で仕事を続け、祭に関わり続けたいという思いからでした。深川にはそうした事業者が沢山います。
いまニシザキ工芸では「仕事旅行社」とコラボして、一般の人を工場に招いた木材塗装講座を開いています。素地調整から着色、研磨、スプレー塗りなどを体験できる本格的なもので、毎月好評です。スタッフにとっても良い刺戟になり、より正確な知識を教えるため、塗装の基礎を改めて学び直す人もいるそうです。西崎さんの暮らす三好界隈も、ここ数年で大きく変化しています。ブルーボトルコーヒーの出店以降、小さなカフェができ、目黒などから進出するセレクトショップやデザイナーの事務所も増えました。「これからは新しい住民や深川で働く人達にも祭に参加してもらえるよう、トークショーなどを通して親しみを広げていきたい。同時に木材塗装に関しても、新しい感性を採り入れていきたい」と西崎さんは語ります。
かつてユニコーン(一角獣)という生き物が地球の一画に棲息していた。本来は存在し得ない。だが、長い時代に渡って多数の人々がその実在を信じていたことは間違いなく、古代ペルシアの歴史書や古代ギリシアの博物誌、さらには聖書にまでその記述がある。このように大昔からその存在が知られていた動物で、欧州では 世紀の中頃まで、誰もがその実在を疑わなかった。そんな一角獣の実際の姿を描いたものとして最もよく世に知られるのが、パリ
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のクリュニー美術館の特別室に飾られている、 1500年頃フランドルで織られたと推定される一群のタペストリーではないだろうか。『触覚・味覚・嗅覚・聴覚・視覚・我が唯一の思い』と題された大きな 枚のタペストリーが壁面を覆う形で半円状に見学者を取り囲む。抑えた照明の暗がりに白馬のごときユニコーンの姿が鮮やかに浮かび上がる。日本でも 3年ほど前に展覧会が開かれ、ご記憶の方もいるだろう。
中でも興味深いのが『視覚』と題された一枚。一角獣が若き姫君の膝上に両足を掛けて、とろんとした優しい目をして、もはや姫様のなすがまま、といっ18た風情の図柄となっている。これは一角獣を描いたものとしては、定番と言っていい構図のひとつで、象徴的な意味がある。この獣は警戒心が強く、俊足でスタミナも並外れたものがある。そのため、最も優れた狩人が山野を駆け抜けるユニコーンを追いかけても、決してこれを捉えることはできない。だが、この美しき獣には、たったひとつだけ弱点がある。若き美しき処女の側にあるとき、一気に警戒心を失い、姫様のなすがままとなってしまう。要するに、若い姫様に弱い。弱いどころか、一気に魂を奪われてしまうのだ。その一瞬だけが、ユニコーンを捉えることができる唯一のチャンス、と信じられていた。これを象徴的に描いたのが、この一枚、ということになる。
この『視覚』と題された一枚がさらに興味深いのは、姫様が右
手に見事な鏡を手にして、その鏡面にユニコーンの顔を映し出し、
獣は自身の姿を鏡面に見出している構図となっている点だ。古来
「鏡」が持つ呪術的な力を象徴的に描いたもので、我が国でも、天の岩戸にお隠れになった天照大神に岩屋からこちらの世界に再度お戻り頂くために、鏡が大切な役割を果たしていることが思い起こされる。
ユニコーンは古来その角が珍重されてきた。本来いないはずの生き物の角なのに ? その裏には、北氷洋に棲息する「一角」というクジラ科の海獣の「角状の突起」(実は歯の変形したもの)が、「ユニコーンの角」として長らく欧州で流通してきたという歴史がある。その粉末を飲めば不老長寿、また、毒殺さ
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れかかった者をも救う強力な解毒作用があり、宴席で料理の出される場にこれを置くことで、人々は安心して料理を食べることが出来た。見事な角は古来、男性自身の象徴としてイメージされることが多いことを反映する形で、ユニコーンの角は、
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玉座の支柱に使われたり、王の帯びる剣の柄として使われたりもしてきた。北氷洋
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に実在する海獣「一角」とはいえ、そうそう捕獲されるものでもなかったようで、欧州の王侯貴族はこぞって、この「ユニコーンの角」を、莫大な金額で購入したことが知られている。
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パリと並んで有名なのが、ニューヨークの MOMAの分館であるクロイスター美術館に収められた、 世紀初頭のフランドルで作られたと推定される、一角獣の
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狩りの様子を順を追って描いた、美しい 枚一群のタペストリーだ。中でも一度見たら忘れられないのが『捕らわれし一角獣』と題された一枚。傷ついて柵内に追い込まれてしまったユニコーンの姿が、深みのある色彩で織られた無数の草花(「千の花々」と呼ばれるタペストリーの描画法のひとつ)の背景と相まって、神秘的な姿で描かれている。
で、ここからが本題だ。このふたつのタペストリーに象徴されるように、 世紀中頃から 世紀にかけて、フランドルでは素晴らしい水準のタペストリーが数多く織られて、欧州全域の宮廷に輸出されていた。例えば、当時「辺境」と呼んでもいい、スコットランド王ジェームス 世の宮廷には、クロイスターのものと類似の一群がホールに掛けられたことが判明していて、王は総数で百枚を超えるほどのタペストリーを所有していたという。辺境の宮廷でさえ、これほどであったことを思えば、フランドルの領主たるブルゴーニュ宮廷を筆頭に、当時欧州政治の主役であった、ハプスブルク・イングランド・フランスの各王家、ルネサンス華やかなるイタリアの諸宮廷・教皇庁などが、どれほどのタペストリーを所有していたか、計り知れないものがある。実は、イタリア・ルネサンス期の諸宮廷のホールの壁を彩っているフレスコ画は、制作に長い時間と手間を要し、その経費も莫大であったタペストリーの代わりに、一種の経費削減策としてホールの壁面を飾るようになった、という有力な仮説が近年提出されている。なぜ、この仮説に説得力があるのか。これを説明するためには、中世から近世初頭の、欧州の君主国の宮廷がどのようなものであったか、というところから話を説き起こす必要があるので、これはまたの機会に。ただ、当時欧州でタペストリーは、絵画や彫刻よりも遥かに価値の高い貴重なものとして取り扱われていた、という事実。そこから、絵画と彫刻を他の諸工芸品より高く評価するという、ヴァザーリの『美術家列伝』以来の考え方に、大きな修正を求める仮説である点が、注目に値する。
Kuwabara Toshikatsu桑原敏勝農業生産法人藤野倶楽部
神奈川県と山梨県の県境に位置する相模原市緑区の藤野。初夏には藤の花で彩られる山里に、桑原敏勝さんの主催する農業生産法人 藤野倶楽部があります。▲藤野の休耕地を再生し、木材チップを利用した野菜づくりをするアビオファーム。▼心と体を癒やすヒーリングも人気。
正月 3日に藤野倶楽部で開催された「ビオ市 /野菜市」。藤野周辺で無農薬・無化学肥料の野菜づくりに取り組む農家約 20組が参加しています。野菜の他、自然食品やヒーリング、ソーセージ、パン、コーヒーショップなどが、藤野在住の土屋拓人さんの呼びかけで集まり、1年ほど前から第1、3火曜日を中心に朝 8時〜11時頃まで開かれています。
▲自ら育てた雑穀を使った手作り料理を提供する飯野種苗
▲ 世界中のソーセージを知り尽くした「hayari」(上野原)▲コジマ農場の小島信之さん。無農薬野菜の個人宅配を行
の飯野亜紀子さん。待ちかねた人たちですぐにいっぱいに。
の村上武士さんは、独特の味噌味ソーセージを出品。
い、質の高い野菜を安定して出荷しているファンの多い方です。
子どもたちは外で自由に墨に親しみます。藤野倶楽部を主宰する桑原敏勝さんは、日本有数の歯科技工士(入れ歯や差し歯を制作する技術者)であり、1979年創業の歯科技工所 IDC(神奈川県座間市)の代表でもあります。新素材や新技術の普及に取り組み、中国から留学生を受け入れ技工士の育成を行うなど、歯科技工の発展に貢献してきました。
農業生産法人藤野倶楽部の「安心農園」は無農薬・有機栽培を行い、抗生物質の心配のある動物性肥料も使いません。自分で野菜を育てられる会員制農園もあります。親しい仲間を招いた今年の新年会は、カニパーティとなりました。桑原さんは持ち歌の「プカプカ」(西岡恭蔵 )を野崎ジョージ勉さん(建築家)のギターで熱唱。
「大学生のころ医療と教育は最後まで資本化できないと教わり、一人一人のために歯を作る歯科技工士になった。グローバル化が進んで他国で作られた食糧や製品を使うのが当たり前安心農園は藤野の茶畑を復興する取り組みも行っています。の時代に、藤野倶楽部は食糧やエネルギーを出来るだけ自給完全無農薬の茶葉を生産し、外国人向けのワークショップ(主して建物も自分たちで立てている。会社の目的は利益の追求催 Another Japan)では、無農薬茶に興味をもつ国際色豊ではないと考えれば、色々と楽しいことができる」と桑原さん。かな人達が参加し、手もみの茶づくりに挑戦しました。この日は「エゴマの葉と茄子のキムチワークショップ」のために、エゴマと茄子を収穫中。
牧野の安心農園に隣接する「無形の家」は、映画「岸辺の旅」(黒沢清監督、浅野忠信・深津絵里主演)のロケ地となったことで知られています。農園の休憩所であり、ワークショップやセミナーなどにも利用される人気の施設です。
藤野倶楽部のレストラン「百笑の台所」。参鶏湯や石焼ビビンバ、石鍋豚キムチなど、島田梢さんがリーダーとなって自然な食材を使い健康に配慮した韓国料理を提供しています。島田さんによるキムチづくりのワークショップも開かれました。
藤野の夏祭り。お囃子を乗せた山車を子どもたちが曳いて歩きます。藤野倶楽部のレストラン「百笑の台所」には冷麺などの夏メニューが登場。バーベキューを楽しむことも出来ます。
屋根に太陽発電パネルを載せた「結びの家」。崖地を活かした作りになっていてワークショップや演奏会に使われています。熊谷幸治さんによる「縄文土器ワークショップ」。藤野倶楽部で見つかった陶土を使い、ふるいに掛けた土を捏ね、形を手で作るという最も素朴な手法で器をつくりました。こちらは唐沢耕さんによる人気の「味噌作りワークショップ」。安心農園で栽培されている幻の津久井大豆と自家製のコウジを贅沢に使った美味しい味噌を作れます。