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コラージ
時空を超える美意識
Salone Internazionale del Mobile
新緑の季節をむかえたイタリア・ミラノ。世界最大級の家具見本市ミラノサローネに行ってきました(4月17日〜22日まで)。Rho-FieraMilano(ミラノ見本市会場)は、市の中心から西北約
5万人の来場者がありました(前年比26%増)。 .12km。地下鉄は連日の混雑でホテルは数倍に高騰、市民生活にも影響を与えます。出展は1841社(会場面積約21万㎡)、188カ国約43
2017年のイタリア木工家具分野の総売上高は415億ユーロ(5.4兆円)。家具と照明の生産量は269億ユーロ(3.5兆円)で前年比2.1%増と回復傾向にあります。輸出も好調で、総売上高143億ユーロ。1位フランス(22億ユーロ)、2位ドイツ(16億ユーロ)、3位アメリカ(13億ユーロ)、4位イギリス(12億ユーロ)。急速に伸びているのは中国で、5.2億ユーロ(前年比36.5%増)を記録。この数字以上に、中国人の来場者が目立ちました。
Rimadesioのシースルーガラス収納。4面をガラスにした箱の中に、棚や木製キャビネットをセットしたシステムは、家具だけでなくキッチンメーカーも提案していました。年々金物が洗練されると共に、LEDを内蔵した光の演出が目をひきます。
ガラス収納を並べた空間はギャラリーのよう。サイドボードを浮かべたウォールシステムは、引掛け金物をランダムに配置(右上)。
Flou+NATEVOのブース。ラグジュアリーなベッドには、沢山のミラーを立てたドレッサー。木製のテーブルやチェアは北欧テイストのデザイン。様々な方向から坐れるソファには、コミュニケーションツールとしての役割を持たせています。
Walter Knoll(ドイツ)は、フトン風座具(?)を提案。ソファに坐る人との視線に高さの差が生まれます。脚を投げ出したり、寝転がったり、くつろぎは思い思いの姿勢で。ヴィンテージな生地の一方、チェアはベルベットでラグジュアリーな雰囲気に。
モダン家具メーカーが集中し、トレンドをリードする5、7号館のなかでも、ひときわ大きなブースをかまえるMinotti。創業70周年を記念して、シンボリックな煖炉が空間の中央に据えられていました。
毎年、ブースに数万人が押し寄せるため、数年前から入場制限を行っているそうです(他も制限するメーカーが目立ちました)。20年にわたり同社のデザインを担ってきた建築家ロドルフォ・ドルドーニさんに加え、nendo(佐藤オオキさん)、クリストフ・デルクールさん(フランス)、マルシオ・コーガンさん(ブラジル)が参加。国際色ゆたかなラインナップになりました。
デルクールさんの新作「グランヴィル」は、ソファを中心としたコミュニケーションの姿を、より進化させたものになりました。流れるようなラインの背もたれや、広い座面の上で思い思いの姿勢をとり、坐ってスマホ、横になって映画鑑賞、寝転がって仮眠など、別々の行為を愉しみながら、空間と時間をシェアできるソファです。アウトドア家具「クアドラード」をデザインした建築家コーガンさんは、日本のメタボリズム建築に影響を受け、無限に増殖する家具システムを考案したそうです。
春先のミラノは気候の変化が激しい季節ですが、会期中は好天に恵まれました。モダン家具の5、7号館を一巡りしてから、クラシックをテーマとした 2、4号館へ。各館は屋根付きの直線通路でつながれ、春の日を浴びながらで芝生でランチをとる人たちも。
西暦
年、南イタリア・
ナポリ近郊にあるベスビオス火山が大噴火。
ふもとの都市ポンペイ(推定人口1万2千人)は、あっという間に分厚い火山灰に覆われて地上から姿を消す。その市域の北端から北すな
キロほどゆるやかな斜面を登ったボスコレアー
レ地区には、美しい壁画の残る贅沢な館(ヴィラ)の遺跡が点在し、その一角にあるヴィラ・デラ・ピサネッラからは、水準の高い銀器がまとまって出土している。
2千年前の銀器だ。様々な装飾の施された両手付の多数のスキフォス(ワインカップ)を中心に、宴席で使用する8人分と推定される銀器全109点。「ボスコレアーレの銀器」と呼ばれる銀器の大半は、パリのルーブル美術館収蔵となっている。この中に・
「ティベリウス」という皇帝名で呼ばれるふたつのカップがある。両カップの側面には玉座の皇帝をはじめ、写実的な人物群が立体レリーフで描かれている。この人物群の詳細な分析から、これが皇帝の歴史的な戦勝をたたえる図柄である、と主張する有力な説がある。また別のカップには、骸骨たちの宴席が描かれているものが幾つかある。一見グロテスクながらも「短き人生、せめて今このひとときの飲食を楽しむべし」という意味が込められている。ぜいたくな銀の食器を飾る、皇帝の英雄物語と骸骨の宴。ポンペイの富裕なローマ人たちは、政治権力の高みを経て贅を尽くした宴席を楽しみつつも、同時に、人生の短さを身にしみて感じながら生きていたのだ。宴席で供される銀器に反映されたこうした人生観は、ひとつの時代がピークを過ぎ、下り坂に入り始めていることを象徴している。同時代の哲学者セネカを持ち出すまでもなく、
「富貴の極みにありながら、人生のはかなさを思う」という風潮が、
この時代のポンペイには確実にあったことがわかる。
この一群の銀器の存在を知ったのは今から
見事な銀器を使って人々が楽しんだ宴席とはどのようなものだったのか。これをきっかけに興味がわき、ポンペイそして古代ローマ帝国の飲食について、あれこれ調べ始めた。
手許の日本史年表(吉川弘文館)には「189年頃 卑弥呼、邪馬台国女王となる」とある。ボスコレアーレの銀器は、卑弥呼が登場する百数十年以上前に作られたものであるわけで、彼我の歴史的文化的な蓄積の圧倒的な差に、ため息が出てしまう。ポンペイと言えば、邸宅の食堂や庭に、トリクリニウム(3台を一組とした寝椅子)が備えられている遺構が数多く発掘されている。奴隷にかしづかれながら、
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「アウグストゥス」
年ほど前。これほど
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男女入り交じって寝椅子に身を横たえて宴を楽しむ有名な壁画もある。そのイメージを補強するのが、アピキウスの料理書と、ペトロニウスの『サテュリコン』に描かれた退廃的なトリマルキオの宴席の描写だ。見事な邸宅が立ち並んでいたことを思うと、描かれたような贅沢な宴席が日常だったと思われがちだ。だが、しばらく前から欧米の食文化史家の間で、「こうした豪華宴席は特権階級の間でも非日常的な特別な機会に限られていたはず」という見方が強まりつつある。では、ポンペイ市民は日常、何をどう料理して食べていたのか。料理の詳細はまだまだ不明な点も多いが、少なくとも食材については、かなりのことが判明している。
往時のポンペイは二千年前にして、すでに国際的な交易都市だった。ワインについてはかなりの量がシチリア、エーゲ海のクレタ島、さらには現在のトルコ西海岸アナトリアからアンフォラ(搬送用の細長い両手付素焼き壺)に詰められて輸入されていた。もちろん地元ナポリ近郊一帯ファレルノ産が最も一般的で、いずれも赤が中心。基本的に水で割り、時に蜂蜜や一部スパイスを混ぜて飲むのが一般的だった。
主食は小麦。基本はエンマー小麦で、これは古代中東から北アフリカにかけて広い範囲で栽培された最も主要な穀物だった。ローマ帝国初期には、お粥状に煮て食べていたが、噴火当時は既にパンが中心。脱穀・製粉の後大きな窯でこれを焼くパン屋の
遺構は、主として市域の北西部に集中する。ロバに引かせたと言われる脱穀用の巨大な石臼数基、焼き窯、これに店舗が付随する規模の大きなもので、これが数十軒見つかっている。こうしたパン屋の店先を描いた有名な壁画があり、そこに描かれた丸パンは、そっくりなものをマルセイユのパン屋で見かけて驚いたことがある。伝統は今に続いている。
もちろんオリーブとチーズも欠かせない。オリーブはオイルそしてピ
クルスに。チーズは熟成させたハードではなくリコッタ的というかコッテージ的なものが主だった。それに豆類と野菜あれこれ。要するに、野菜と穀物それに僅かな乳製品が中心の食事だった。たまに食べた肉はソーセージとして加工されたものが一般的で、素材はその脂ラードも含めて圧倒的に豚肉中心。これに加えて鶏と卵。さらに羊と山羊の肉も食べられたが、牛肉という話は、まず出てこない。海辺であるからには魚も日常で、ボラ類が珍重されたが、イワシ類が庶民の魚で、これを主たる素材としたガルム(魚醤)が塩や蜂蜜と並んで重要な調味料だった。
街道沿いに立ち並ぶ商店の遺構は非常に数が多く、すでに貨幣経済が発達していて、庶民が銭を数えながら買い物したことが窺われる買物値段リストが壁面に書き残されている。日本初の貨幣、和同開珎の導入が708年だ。ポンペイは日本の700年以上先を行っていたことになる。道路に面し地上階のカウンターにスープや煮物類の鍋を並べる建物の形状から「飲食店」と判明している遺構は二百を越える。が、人口比であまりに店数が多いため、「飲食よりも夜の女性が中心の店も多数混ざっていたのでは?」という見直し論が勢いを得つつある。ポンペイはエロス全開の都市だったのだから。
5月 23日(水)から毎週水曜日5週連続、早稲田大学エクステンションセンター中野校で、食文化史講座が開催されます。詳しくは左下リンクへ。
1867年、フィレンツェで創業した BALDI HOME JEWELS。ルネサンスのヴィッラにタイムスリップしたような家具やアクセサリー、照明器具。ピッティ宮殿の女神ヴィットーリア像で知られる彫刻家ヴィンチェンツォ・コンスアーニ(1818〜1888)のDNAを受け継ぎ、水晶や天然石、金箔、吹きガラスなど本物の素材を使い、イタリアの職人の手で作り出された製品を世界へ輸出しています。最近は歴史的な作品を3Dレーザースキャナーでデータ化するなど、テクノロジーと伝統を結びつける試みも行っています。
ベネチアに近いヴェネト州ヴィゴンツァに1967年創業したSMANIA(ズマーニア)。金属や籐のアウトドア家具からスタートし、木工家具部門を設立。マッシモ・イオザ・ギーニさんなどとコラボレーションした、モダンクラシックなメーカーとして知られます。
モジュラーソファ「ベルモンド」やアームチェア「エンバシー」、革張りヘッドボード付きベッド「グランドソーホー」など、イオザギーニさんデザインによるコーディネーション。
内田 和子
つれづれなるままに
今年の桜は早咲きだったが、たくさん花見を楽しんだ。実家近くの妙正寺公園、桜の木の下で花びらを受けながらお弁当を広げる。川両側のしだれ桜も年々、枝先を伸ばしているようだ。千鳥ヶ淵は2度。昼間は外国の方も子連れで楽しんでいる。ボート乗り場には大勢並んでいるが、お堀に浮かぶボートは絵になる。桜吹雪は花筏も美しい。
初めて谷中の桜も見に行った。これは「東京お上りさん」仲間のお花見。日暮里に集合。谷中銀座をぶらり、サクラはすでに大方散っていたが、大勢人も出ている。ちょうどいい場所があると、お弁当を広げビールを飲む。ひとっしきおしゃべりを楽しんだ後、そこが幸田露伴の「五重塔」の礎石だったことを知り。慌ててみんなで石にお詫びした。おばさんグループに近寄る人もなく、諌める人もいなかったのか、はたまた、懐の大きい方ばかりだったのか、知らずとはいえ、恥ずかしい思いをした。
4月の初め、都踊りに行ってきた。歌舞練場が建て替えのため、今年は京都造形芸術大学内での観覧だったが、かしまし4人で最前列の真ん中に席をとり、舞妓さん、芸妓さんの艶やかな姿を存分に楽しんだ。遠目で見る姿とはまた違い、一斉に並んだ舞妓さんの立ち姿はなんとも可愛らしく華やか。一番前の席ではその顔立ちの違いもよくわかり、年の違いもなんとなくわかる。
2月の撮影会の舞妓さんも出るといっていたので探して見ると、なんと「色気がない」と先生に言われていた彼女が、ど真ん中で舞妓主役を張っているではないか。撮影会から1カ月ちょっとだが、その成長ぶりにおどろいた。
踊りも品も目線も肩の落しも見事にプロの舞妓さんになっていた。彼女は確か千葉出身。好きでこの道に入ったと聞いていたが、このご時世での修行の日々、生半可では続かないだろう。若い人の成長はすごい! 都踊りは井上八千代さんの厳しい指導があると言うが、その成果は見事だった。帝国ホテルで行われる東西夏祭りのチラシにも
つまさきを上げて歩いてゆく
彼女の名前が載っていた。これからの活躍を大いに期待したいと、いつのまにか「東京のおかあはん」になっている。
中旬、「THE ALFEE 仙台ツアー」を観に行った。4年前武道館の熱気に度肝を抜かれ、地方追っかけもしてみたいと、全国ツアーで行けるところを予約する。私以外は勤め人である。そうそう休みは取れない。半休でなんとかと行ける場所で仙台を選んだ。何度もきている仙台ではあるが、追っかけできたのは初めて。当日、
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羽生くんのパレードがあることを知り、急遽、沿道に向かう。すでに大勢の人で一杯。かなり遠目ではあるがテレビ中継の設置台脇で、始まるのを待つ。気温が上昇、日も強く暑い。沿道で倒れ運び出される人もいる。
もしかしたら、テレビに映るかも ……と、ひたすらパレードを待つこと2時間。ようやく音楽が聞こえ、羽生くんの姿が見えてきた。一斉にカメラがあがる。私も10人の隙間から i-phoneを最大限に拡大し、目いっぱいに背伸びをして、街宣車の上でポーズをとる結弦くんの姿を撮る。目の前(といってもかなり遠くだが)を左から右へ。通り過ぎるまで5分ほど。姿が見えなくなって沿道の人々も解散。ホテルに戻り、 THE ALFEEの開演時間まで一服。テレビをつけると、今見てきたパレードの様子が映っていた。 万の観衆の中に私たちもいたのよ、と興奮する。黄色い声で「ユズルく〜ん」と声援も送れた。いい経験をした。
さて、5月。新緑が美しい。寒暖差の大きさに上着は手放せないが、爽やかな風に誘われて散歩を楽しむ。1年前、ウォーキング教室で歩くコツを教えてもらい、今年は キロウォーキング完歩を目標にした。1日6000歩を心がけたいと思っているが、寒いと床暖をしてじっとして0歩が続く。しばらく歩かないと、つま先がなんども引っかかる。これは危ない。危ない。友人が集まると、どこかしら病気の話が多くなってきたが、無理強いしない、都合が悪ければいつでも休むを長続きの秘訣にして、歩く機会を作っている。出不精になる気持ちもあるが、よっこらしょと言って、立ち上がってしまえば元気もでる。
気分のいい五月晴れが続くことを願いながら、つま先を上げて歩いて行こうと思う。
「あつき情熱」堂々完成!
青山 BC工房や、ふじのリビングアートなどで配布中。下のメールからお申込み頂ければ、コラージから郵送いたします。 ※「あつき情熱希望」とお書き添えのうえ、送付先をお知らせください。
アホすぎる、デカすぎる、やりすぎる、過激すぎる、わからなすぎる、ダメすぎる。ちょっと極端に片寄った奇なものづくりをしたい。(より)
「あつき情熱」
小誌コラージの創刊から 年以上、 120回にわたる鈴木惠三さんの長期連載『工房楽記』が、ステキな小冊子になりました。制作したのは、編集者・
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中野照子さん(アトリエ苫人)と Aランチの皆さん。ふじの BC工房での椅子づくり、家具づくりをとおした主人の思いが、ギュギュッと凝縮されています。
鈴木惠三さんの家具づくりは巨大な「?」を、世の中に、家具界に、世界に問いかける毎日。もちろん、工房の経営も大切、椅子の使い心地も大切、お客さまの満足も大切。でもでも ……その枠におさまっちゃダメなんだ。大人しく、物分りのいい、一見理知的なものづくりに警鐘を鳴らす主人の、あついメッセージです。
ミラノサローネは 4月17日からですが、前日(16日)からミラノ各所でプレビューが始まります。繊維・化学の街として発展したTORTONA(トルトーナ地区 )でもデザインウィークが開催され、SuperstudioやSONY、Miele、MOOOIなど注目の展示がありました。1970年代ミラノはローマにかわる服飾の街として発展し、トルトーナには沢山の繊維・化学工場が操業していましたが、海外移転にともない衰退。今は展示ホールやショールームとして再開発が進んでいます。 最寄りのポルタジェノバ駅で偶然、デザイナー・川上元美さんと出会いしばし同行。倉庫を利用した Superstudio Pi.で開催される SUPER DESIGN SHOWでは日本の展示を多く見られます。JAPAN DESIGN WEEK「匠」は津軽塗のデザインプロジェクトをはじめ、エゾシカ革小物(24KIRICO 高瀬 季里子)、奈良のデザイン雪駄(DESIGN SETTA SANGO)、豊後高田市の竹アクセサリー(ミカヰバンブー)など日本の手仕事を紹介。展示準備を進めていました。川上元美さんデザインの新作マルチスツール「Cradle(クレイドル)」(オカムラ)もきちんと展示されていて一安心です。浜松からは河合楽器製作所が初参加。光のアーティスト・松尾高弘さんとコラボレーションしたインスタレーション「Crystal Rain」によって、クリスタルグランドピアノの新作を披露。真っ暗な空間のなかで、透き通ったグランドピアノと音に合わせて流れ落ちる光。幻想的な光景にしばし見とれました。同社のピアノは、ヨーロッパにも輸出されているそうです。
ひときわ目立っていた nendo(佐藤オオキさん)の個展「nendo : forms of movement」。約 800㎡のスペースに「ものの動き」をカタチにした10作品が展示され、一時は 2時間待ちの人気イベントとなりました(午前中でまだ準備中でした)。ジュリオ・カッペリーニさんがディレクションする「SUPER LOFT」では、ボッフィやデザイナーズギルド、マジス、ポリフォルム、ポルトローナフラウなどの製品をコーディネーション。ボッフィのキッチンは、カウンターをスライドしてシンクを隠せるタイプ。調理部分もクローゼットの中に収まります。キッチン後ろには、カッペリーニによる倉俣史朗さんのキャビネット Furniturein Irregular Forms。そのほか Revolving Cabinet や Sofa with Arms PC/17など倉俣作品がフューチャーされました。
「Design in the Age of theExperience」展では、ダッソー・システムズ(仏国)と隈研吾建築都市設計事務所がコラボ。同社の 3DEXPERIENCE(ヴァーチャルな設計支援システム)を活用し、大気汚染の浄化機能をもつ素材を使った巨大オブジェ「Breath/ng(ブリージング )」を製作しました。
Superstudioに近いトルトーナ通りには、名児耶秀美さん(アッシュコンセプト)の企画による POP-UP STOREがミラノサローネ期間中だけ開店。「+d」、「soil」、「hmny]、「CORGA」の製品を展示・販売し、道行く人の注目を集めていました。サローネはミラノ市民にとっても春のお祭として定着していて、ショールーム見学などに出歩く人が目立ちます。SONYは「HIDDEN SENSES」と題した展示で、8年ぶりに参加。「五感に訴えるテクノロジーが、生活の一部になる未来」を表現しました。空間構成には、 studio ITO design(伊藤節さん、伊藤志信さん)が参加(右写真は広報資料から)。
5月 30日(水)から 6月 1日(金)まで2018 年5 月30 日(水)〜6 月1 日(金)10:00〜18:00 (最終日は16:30 まで)
インテリアライフスタイル 東京ビッグサイト 西1・2・3・4 ホール+アトリウム
鞆の浦の鉄工所「三暁」は、「家具作りをサポートする鉄工所」として、独自の技術で他にはないデザインを具現化。 [三暁]HOME J-54セネガル共和国の HAND WOVEN CHAIR 。金属フレームにナイロンのヒモを手作業によって堅く編んでいる。[プチ ダカール]ACCENT G-24創業 60年の店舗什器メーカーが「服と暮らす」ハンガーラックなどのブランド「clokee」をお披露目。[clokee /日本コパック]EVERYDAY E-25
世界 29カ国・地域から、ファッション雑貨、キッチンツール、食料品、ジュエリー、家具など様々なジャンルのデザイン、製造、販売を行う800社以上が出展するインテリア・デザインの総合見本市「インテリアライフスタイル」。今年は 2018 年 5 月 30 日(水)〜 6 月1 日(金)まで、東京ビッグサイトで開催されます。恒例のアトリウム特別展示は「For Here or To Go?」。経験豊かなバイヤーとして知られるメソッドの山田遊さんをディレクターに迎
え、商談を会場で詰めるか、社内に持ち帰って検討するか、バイヤーの意識を問い直すことをテーマとするそうです。日本の見本市は持ち帰り型が多いようですが、会場での商談や買い付けが活性化するかどうか、楽しみです。
1830年創業の紀州漆器専門店が、材料から製
造まで和歌山産にこだわり、紀州桧をくり抜いた
弁当箱を出展。ナノコート(ガラス)により汚れ
が付きにくく、食器洗浄機にも対応。[角田清兵衛商店] JAPAN STYLE D-62LIVING MOTIFが初出展しスウェーデン家具ブランド「MASSPRODUCTIONS」を展示。イギリス人クリス・マーティンとスウェーデン人マグナス・エルヴァックによる構造美と機能性。[リビング・モティーフ] NORDIC LIFESTYLE A-151888年創業、帆布に特化した岡山の老舗機屋が新たな取り組みとしてJapan creativeと気鋭のデザイナーフェイ・トゥーグッドとのコラボによるソファを発表。旧式織機によって最新のデザインを作り上げる。[タケヤリ]MOVEMENT I-05福岡の家具メーカー MARUSOのデスク専門ブランド「FIEL」が、昨年YOUNG DESIGN AWARD を受賞した西尾健史さんのスチールレッグ「Takeshi」を製品化。デスクやシェルフ、ワゴンに変化する。[FIEL]アトリウム S-01
小林 清泰アーキテクチュアルデザイナー ケノス代表
自宅、築 27年目の耐震化 その 1 -備えあれば憂いなしの耐震計画と工事の実際
東日本大震災をきっかけに、自宅の耐震力強化を本気で考え始めました。3.11は、ビッグサイトで大きな揺れに2回あいました。直後は事務所に連絡がつきましたが、その後は全く電話が繋がらなくなり、6時間半かけて徒歩で帰ったことが鮮明に思い出されます。幸い自宅も被害はなく、2階子供部屋吹き抜けの火打梁にあった、怪獣のおもちゃが 2個落ちただけでした。震源からは遠く直下型ではなかったからでしょう。日本はいうまでもなく世界有数の地震国ですから、特別大きな地震が発生するたびに、建築基準法の改正が行われました。1978年(昭和 53年)に発生した「宮城沖地震」を踏まえ、1981年(昭和 56年)には、いわゆる「新耐震基準」(新耐震)が制定されました。耐震性を高めるため「基準壁量」が増加され、木造住宅の壁の量を増やしたり構造用合板を使ったり、
耐震性を高める「ホールダウン金物」の仕組み。
SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート)では、鉄骨柱のまわりを囲むコンクリートの破壊を防ぐため、フープ筋(帯筋)のピッチを細かくして強度を増すなど、より安全な方向に構造が強化されました。そのため中古マンションの購入では、1981年以降の建設かどうかが、大きな判断材料とされています。そして1995年(平成 7年)に、「阪神・淡路大震災」が発生しました。この地震は「直下型」の激震によって、木造家屋をはじめ RC、SRC造の建物に甚大な被害を与えました。在来工法の木造住宅は、鉄筋コンクリート基礎の上に「土台」と呼ばれる材木を敷きます。その横材に「ほぞ穴」という四角い穴をあけ、その上に「ほぞ」加工した柱をはめ込みます。現在は柱をホールダウン金物でとめますが、1981年以前の木造建物は、ここが弱点のひとつだったようです。私は直下型の地震によって、下方向から突き上げる強い縦揺れが生じ、それによって土台から柱のほぞが抜けてしまい、耐力を失った建物が倒壊してしまうのだと考えていました。しかし、耐震設計に詳しい高本直司さん(一級建築士事務所アーク・ライフ)のお話では、順番として、まずは「壁」の補強が大切で、その次に壁が耐震効果を発揮できるよう「柱の上下端の固定」を行うそうです。縦揺れによって柱が垂直に抜けるという話は、倒壊現場の印象から広まったのではとのことで、阪神・淡路大震災も熊本大地震も、気象台計測の波形は上下動の加速度が1Gを超えていないようです。甚大な被害の出た阪神・淡路大震災の状況を踏まえて、2000年(平成 12年)に建築基準法が改正強化されました。特に木造では耐力壁のバランス計算、ホールダウン金物の設置、地盤調査が義務化され、耐震性が大きく向上しました。
我が家は1991年(平成 3年)に在来木造で建てました。ですから1981年(昭和 56年)の「新耐震基準」はクリアしています。しかし2000年制定の新々基準と比べると、当然強度が足りていません。私が特に気になったのは「ホールダウン金物」が無い事でした。ホールダウン金物は、建物四隅の柱や、1〜 2階を貫く「通し柱」、開口部の柱など建築基準法に従って取り付けが義務化されました。鉄筋コンクリート基礎にあらかじめアンカーボルトを埋め込み、柱に取り付けた金物とボルトで連結します。家が完成すれば外からは見えず、本当に縁の下の力持ちです。
熊本大地震で被害の大きかった熊本県益城町では、まだ新しく見える木造住宅も倒壊・半壊しました。
新築途中で倒壊した木造住宅。益城町では、今も多くの方が仮設住宅で生活されています。
新築では義務化されたものの、既存の木造住宅にホールダウン金物を取り付けることは難しく、一般的には外壁からしか取り付けられません。いろいろ探しましたが「これは!」と思うものを見つけられず、時間だけ経過していました。そんなか、2011年の東日本大震災につづき 2016年(平成 28年)4月、熊本大地震が発生します。その際に注目されたのが、2000年に策定された「耐震等級」です。「耐震等級3」の住宅は、熊本地震でも大半が倒壊しませんでした。国土交通省住宅局がまとめた「熊本地震における建築物被害の原因分析を行う委員会」報告書によると……
■ 木造建築物の倒壊の原因分析○旧耐震基準と新耐震基準(1981年)の木造建築物の倒壊率に顕著な差があったのは、新耐震基準は旧耐震基準に比べ約 1.4倍の壁量が確保されている為と考えられる。○ なお住宅性能表示制度による「耐震等級 3(倒壊防止等)」の住宅は新耐震基準の約1.5倍の壁量が確保されており、これに該当するものは、大きな損傷が見られず、大部分が無被害であった。(引用以上)
「耐震等級」という性能表示は「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(品確法)により2000年(平成12年)から始められました。一般の建主にも分かりやすいよう、耐震性に1〜 3の等級をつけたことが特徴です。「耐震等級1」は極めて稀な地震力(関東大震災や阪神・淡路大震災など)に対しても倒壊・崩壊しない性能。[耐震等級 2]は等級1の1.25倍の力に対して倒壊・崩壊しない性能で、病院や避難所、学校等の公共建築物がこれに当たります。[耐震等級 3]は等級1の1.5倍の地震力に耐えるもので、地震後も軽い補修程度で住み続けられるレベル。市役所や警察、消防署等がこれに相当し、災害対応及び復興の拠点となります。今回、調べて知ったのですが、「耐震等級1」の倒壊・崩壊しない性能とは人命を守るための最低限の耐震性能で、地震後も住み続けられる事を保証したものではありません。
熊本を襲った強烈な地震、それも余震の後に本震があり、いずれも震度 7を観測した大地震では、2000年の新々基準以降の比較的新しい木造住宅までが倒壊し、建築業界は大きな衝撃を受けました。築 27年の我が家はたぶん「耐震等級1」レベルでしょうが、前述のホールダウン金物はありません。熊本地震の報道を見るたびに不安が募ってきます。そんななか、所属する「新建築家技術者集団」による、木造建築の耐震化計画と工事見学を兼ねたセミナーが 2015年 9
1階を作業場・駐車場にしていた SRC造の建物。
RC造の納骨堂。地震の激しさが伝わってきます。
月に湯島のすき焼き料亭「江知勝」で開かれました。明治 4年創業時からの古い木造建築で、自宅の耐震化に向けたスタディーになればと、家内と 2人で参加しました。講演者はこの工事を行ったエコ・リフォームの塩谷敏夫さん。計画から完成までのプロセスをスライドで、数多くの現場エピソードを交えてお話くださいました。座学終了後に耐震補強を行った各部屋をご案内いただき、営業しながらの工事で苦心した箇所や補強修復した部位の完成度の高さを垣間みました。
しばらくして同じ「新建築家技術者集団」による熊本地震実態報告と耐震補強工法の提案セミナーが神田で開かれました。そのときの講演者が高本直司さんで、東京都木造住宅耐震診断事務所に所属する登録耐震診断技術者です。主題は、厚さ12ミリ構造用合板による既存壁の耐震化と構造計算による耐震壁追加によるバランス取りの重要性でした。我が家の耐震化工事については、家を建てた工務店と相談しながらと思っていましたが、見通しの甘さを強く感じました。これは専門家に相談しないとしっかりした工事はできないと、まずは高本さんと面談して、耐震診断を依頼しました。衝撃の診断結果やその後のプロセスなど、多岐にわたる問題が発生しましたので、次回にその報告をいたします。
市の中心ドゥオーモに近いドゥリーニ通り周辺には、カッシーナ、B&B、ジェルヴァゾーニ、アルクリネア、バクスターなど日本でも知られたブランドのショールームが並びます。車は規制され、通りにはベンチや盆栽に仕立てたオリーブの木が置かれました。
上質な革張りソファで知られるBAXTER(バクスター)は、古い映画館をショールームに改装。地下への階段はシアターの雰囲気。
BAXTERが大切にするムードあふれる空間は、アンモラルさえ感じさせます。代表的なソファ「CHESTER MOON」のデザインはパオラ・ナヴォーネさん。ソファ「BARDOT」(左)のデザインは、DRAGA&AUREL。モデルとしても活躍したセルビア生まれのDRAGAさんと、3歳からドイツで木工職人として働き、フィレンツェでデザインを学んだAURELさんのユニット。テーブルやキャビネットも手がけています。
100以上のブランドを扱い、創業約50年のインテリアデザイン・販売会社 Salvioni Design Solutions のショールーム「ミラノ・デュリーニ」。築100年ほどの邸宅を改装し、2016年オープン。様々なメーカーの家具・照明・キッチンをコーディネーションしています。Massimiliano PellettiやAlessandro Busciのアート作品を展示したリビング空間。建物は6階建て1100㎡、各階で異なるスタイルを提案し、イタリア都市部のアパルトマン生活を垣間見られます。中庭的なテラスでは、アウドドア家具も展示。
先祖代々のクラシック家具やヴィンテージなラグ、色々なスタイル・年代のモダン家具をとりあわせ、つるっとした皮革・金属、ざっくりしたファブリックス、天然木の質感、アクセントカラーとアートの対比など。よそいきのミラノサローネ会場に比べ、少しごちゃっとした所がミラノ流。モード発信基地としてのプライドを感じます。天井高が高いこともあり、シンプルなカーテンのドレープが映えます。1898年、メーダに創業し120周年をむかえたGIORGETTI(ジョルジェッティ)。ミラノから北へ30kmほどのメーダは、MinottiやCassinaなど、高級家具メーカー発祥の地として知られています。元々は貴族の館やコモ湖周辺の別荘向けクラシック家具を製作する木工房の街で、同社もフランス・ルイ15世様式など、クラシックの製造からスタート。イタリアが経済発展した1970年代から機械化にとりくみ、1980年代後半から、幻想的な建築絵画で知られるMassimo Scolarさんなどとのコラボレーションを開始しました。
GIORGETTIはキッチンも展示。スクエアなキッチンにラウンドしたカウンターを合わせ、調理機器を収めたクローゼットの扉には大理石をつかうなど、高級家具メーカーらしいデザインと色合い。
イタリアのモダン家具メーカーの多くがクラシック家具工房の出身で、1980〜90年代に建築家・デザイナーとのコラボレーションを開始。機械化やモールディングなど技術革新に対応しつつも、木工や天然石、金属加工、皮革やファブリックスの縫製など、職人技を活かしたものづくりを進めました。包み込むようなヘッドボードのベッド「PEGASO」はROBERTO LAZZERONIさんの新作。訪れた誰もがホッとなれるのが、GERVASONI(ジェルバゾーニ)。1882年、イタリア北東部ウディネに創業した籐メーカーをルーツにもち、客船やホテル向け籐家具メーカーとして発展。1996年からパオラ・ナヴォーネさんをディレクターに向かえ、世界ブランドに飛躍。いま最も旬のデザイナーといえるナヴォーネさんですが、GERVASONI(の空間は、その思想を総合的にあらわしています。
ジェルバゾーニのルーツを伝える、籐や竹、麻などの自然素材を多用した家具やアクセサリー。ナヴォーネさんは、1970〜80年代まで、ソットサスやメンディーニ、アンドレア・ブランジなどの事務所で働き、メンフィスの時代を今に体現する貴重なデザイナーです。Cassina は、フランク・ロイド・ライトがタリアセン自邸のためにデザインした「 Taliesin 1 アームチェア」(1949年)を復刻。合板を組み合わせた折り紙のような構造です。各色150脚限定。
螺旋階段に置かれていたのは、1987年、ガエターノ・ペッシェさんの作品「 Feltriアームチェア」。フェルトのキルティングが身体を包み込み、アームの位置が可動します。その他、マリオ・ベリーニさん「TENERIDE」の開発ストーリーが紹介されていました。 ミラノ市の中心、ドゥオーモ(大聖堂)広場では、ミラノサローネの関連イベント「リビングネイチャー」が開かれました。「カルロ・ラッティ・アソチャーチ」によって企画され、500㎡のパビリオンのなかに春・夏・秋・冬の環境をつくり、四季の草木を植えました。電力は太陽光発電でまかない、エネルギー循環によって、本物の雪景色や灼熱の暑さを閉鎖空間に再現。
ドラゴンシリーズ 45
ドラゴンへの道編吉田龍太郎( TIME & STYLE )
私たちは、どこに向かうのだろう
今朝の朝日新聞の一面に大きな見出しで、
「森林価値の崩壊」
というようなことが書かれていた。全国の地方自治体が運営する林業公社の債務が1兆円を越える一方で、公社が管理する森林の経済価値は実際は数百億円しかなく、森林への投資は利益を生まないそうだ。そのような事情から各自治体で公社の解体が進み、日本の森林価値の崩壊はもちろん、森林の維持管理も危うい状況という。
日本国土の 7割以上を占める森林は経済的な価値を失い、これまで政府が進めてきた林業の育成も失速し、投機や水源確保のため、多くの森林が海外の人々に購入されることに拍車が掛かるだろう。
日本人は木が好きだ、と言われる。木の家に住み、木の道具を使ってこれまでの長い歴史を生きてきた。しかし、この数十年の間に住宅はプレハブとなり、木目調の家具や建具、床、壁も全ては印刷によるものに多くが転用された。しかし、どれだけ印刷技術が進化して木目調が本物と変わらない次元に来た現在でも、ニセモノであり、木の本来の温かみや人間の手で作られた痕跡の佇まい、手触りや匂いなど人間の長年の触感に訴えて感動させるものはできない。これだけの森林資源を持ち、それを真剣に生活に生かして、自然と長く共生してゆくことは私達人類の将来への大きな命題だ。
その豊かな森林を有する日本が国土の
木々とどのように共生していけるかに、これからの日本の価値と未来があると信じている。木々はこれからも何百年と生き続けてゆくだろうが、自分達の命がある限りは、この日本の木々が大切にされながら、人間との関係を深めていける可能性を模索してゆきたいと考えている。
旭川の工場を昨年から今年にかけて拡張することにした。
工場の面積は約 倍と大幅な拡張となった。元々は工場を隣
町に新設する予定で、 年前に 9000坪の森林を用地とし
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割を超える森林と
て購入した。この敷地は将来のために継続して所有しているが、工場をゼロから新設するとなると、全てのインフラを自社で整えてゆくしかない。私たちの会社は性格的に、工業用地として分譲されている地域に工場を作るつもりなど初めからない。工場の環境は、製品に対して大きな影響を与えると考えている。しかし、分譲工場用地のメリットは全ての基礎インフラが整えられていることだ。森に道を作りボーリングして採水する必要も無いし、電柱を立てて電力供給路を自分達で作ることも、トイレや排水路を作る必要も無い。上下水道まで整えられているのが工場用地の大きな利点だし、地方自治体からの補助金なども出やすいことは間違いない。しかし、本質的なものづくりの環境としてはどうだろうか?
全てのインフラが整えられた場所で行うものづくりには、どういう精神が宿るのだろうか。そういう面倒なメンタリティが災いして、購入した森
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林は将来のために確保しながら、これまでの工場の増床を進めることとなった。それは増床してでも今すぐにやるべき目的があるからで、やはり自分たちの手で取り組む必要を感じてきたからだ。森林の工場のデザインは建築家の手で、環境と製造ラインを調和した素晴らしい設計が完成している。夢のような森の中に建つ工場だが、いつの日か実現したいと思う。
以前にも増して、ものづくりのあり方について考えることが多くなった。ものづくりの目的はそのプロセスではなく、最終製品が持つというのが明確な一般的な答えだろう。
しかし、良い製品とはどういう製品だろう。私はそのプロセスの中に、ものづくりの大きな目標があると考えている。ものづくりや製造には目的があり、それは良い製品、すなわち美しく、デザイン性に富み、機能的で使いやすく、製品と価格のバランスの取れた製品を生み出すこと。
私たちにとっても、ものづくりのプロセスや精神性だけがものづくりの目的ではないし、デザインや製造方法も重要だと思うが、そうシンプルな答えはない。素材の循環性や製造環境も重要な点であることは間違いない。
ドイツなどには、高度な設計技術と製造プロセスに加え、製品のデザインと機能性に対する哲学が明確に確立された製品が存在する。長期にわたる設計時間を費やし、また、多くの試作の実験による検証を経て、大きな設備投資と労力を注ぎ込んで、一つの完成度の高い工業製品が誕生する。
オフィス用の椅子などは、設計から販売まで 年近い時間と検証を重ねた製品も少なくない。そんな欧米型プロダクトの製造哲学から学ぶべき点
は多いが、日本人である私たちが吸収し実践して、そのような工業製品を
生み出すことは難しい。家電も自動車産業も欧米型の工業製品の在り方を
模索してきたが、未だにそれを越えられない。私たちが目指すものは、そうした工業製品の哲学とは異なった側面から
導かれた日本独自の価値観であり、その道を歩き進めてゆくことが私たち
に課された使命である。そして、日本のものづくりの将来に繋がる取り組
みであると考える。その使命感も常に揺らぎながら、西や東を、古き時代や新しいテクノロジーの狭間を、遠くにある目的地へと宇宙空間を彷徨いながら歩き続けてゆく。
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そんなわけで、増床した工場では
丸太から木材を製材する「製材機」
を導入し、木材を天然乾燥する土場
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を設けて、 年から 年間木材を屋外で寝かせ、それから数カ月を掛けて人工乾燥し、木材の水分を調整する乾燥エリアを新設した。この一連のプロセスには数年間のサイクルが必要だが、木材を有効に無駄なく活用するためには、森林で立木を見ながら丸太を仕入れ、自社の製材所で製品の規格にあわせて製材し、天然・人工乾燥させて、必要なサイズに木取りすることで、木材を無駄なく使用できる。
時代とは完全に逆行したように見
えるかもしれないが、新しい方法や
テクノロジーに価値があるわけでは
なく、大きな視点から俯瞰して時代と自分たちの生きる今を見つめること
で、何を行うべきか、どう生きてゆくべきか、どこに向かうべきかが見え
てくる。無駄と言われようが、本当の価値を創造しないものづくりは意味
を持たない。自戒の念を持って、人類は早く気付かなくてはいけない。
『Where do we come from? Who we are? Where we are going?』ポールゴーギャンの絵のタイトルだ。私たちはどこから来て、どこに向
かおうとしているのだろうか。
世界最大のゴシック建築といわれるミラノのドゥオーモ。14世紀末、ミラノを支配したヴィスコンティ家当主により、男子誕生を願って建設が始まりました。宗教改革や戦火の影響で工事は中断され、竣工は500年後の1813年。イタリア遠征によりミラノを制服したナポレオンが、突貫工事で完成させました。中央尖塔に立つマリアさまがミラノの街を見守り続けています。
ミラノの歴史ちょっとだけ
イタリア半島の北に位置するロンバルディア州ミラノ。地図で分かるとおり、ドゥオーモを中心にした環状都市です。ヨーロッパ中世の都市国家は大聖堂や市役所広場を中心に環状の城壁を建て、街の拡大とともに城壁を築き直しました。第二次世界大戦で、ミラノの街はアメリカの空爆により大規模な被害を受け、比較的新しい建物が多いのが特徴です。
11世紀頃から毛織物産地として発展したミラノは、ミラノ大司教に認められた特権貴族・ヴィスコンティ家によって治められました。14世紀後半には神聖ローマ帝国から公爵位を得てミラノ公国を建国。15世紀には男系跡取りの不在から女婿であった傭兵隊長スフォルツァが公爵位を継承し、フィレンツェとならぶルネサンスの中心地となります(ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」が有名)。15世紀半ばにはイタリア五大国(ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、教皇国家、ナポリ王国)のひとつに数えられますが、イタリア戦争によってフランスと神聖ローマ帝国の争いの場となってしまいました。16世紀にはスペイン領、18世紀にはオーストリア・ハプスブルク家の支配をうけ、1796年ナポレオンのイタリア遠征の際には、ナポレオンのつくったチザルピナ共和国の首都になります(この時にドゥオーモ完成)。ウィーン会議によりオーストリア領に復帰後、1848年にイタリア統一運動の先駆け「ミラノの 5日間」ミラノ蜂起が起こりました。蜂起は失敗したものの、サルデーニャ王国がイタリア統一戦争でオーストリアに勝利。サルデーニャ王国に併合されます。第二次世界大戦では、1943年ドイツと同盟したムッソリーニのファシスト政権が崩壊し、同年 8月15日深夜にミラノは大空襲に見舞われ、市内の建物の 50%が空襲にあいました。イタリアは連合軍に対し休戦しますが、半島は直ちにドイツ軍に占領され、逮捕されていたムッソリーニをドイツ軍が救出。イタリア北部にサロ共和国を樹立したため、ミラノではサロ政権に対するデモやレジスタンスが活発化しました。ドイツの敗退とともにムッソリーニは処刑され、ミラノ市民の前にさらされます。戦後のミラノは空襲の被害から立ち直るため、化学工業、繊維業、機械工業に力をいれ、経済・金融・文化・デザインの中心都市となっていきます。ブレラ美術館周辺の旧市街でも、Fuori Salone(会場外のサローネイベント)のひとつ「BRERA DESIGNWEEK 2018」を開催。300以上の企業・デザイナーが古いアパルトマンなどを利用した展示を行い、普段は静かな街の様子が一変しました。
Roche Bobois(ロッシュ ボボア)は、マルセル・ワンダースさん(オランダ)の新作「GLOBE TROTTER COLLECTION」を発表。ブレラ地区の会場にワンダースさんが訪れ、取材を受けていました。GLOBE TROTTER は、熱気球を発明した18世紀フランス人モンゴルフィエ兄弟にインスパイアされ、冒険や発明、旅行をイメージ。世界各国で拾い集めたモチーフが散りばめられています。
ロッシュボボアは、サローネ会場にも出展。東京では神宮前のショップに加え、クラシックラインを展示する「Roche Bobois TOKYO Nouveaux Classiques」が 6月オープン予定です。
人気の繁華街コルソコモの入り口 Porta Garibaldi(ガルバルディ広場)でもサローネ関連のイベントが開かれていました。新古典主義を感じさせる門の設計はジャコモ・モラリア。ミラノ市を囲っていた城壁の跡地に1826年に建てられオーストリアのフランシス1世に捧げられましたが、1859年、第二次イタリア独立戦争の時期に「イタリア統一の三傑」のひとりジュゼッペ・ガリバルディの名を与えられ、独立のシンボルに……。
Euro Cucina
ミラノ・サローネと同時開催の「Euro Cucina」は、9、11、13、15号館で偶数年に開催されています(奇数年は照明展 EURO LUCE)。キッチンメーカーの動向はインテリアのトレンドをリードするともいわれ、キッチンだけでなく空間全体のコーディネーションにも注目が集まります。キッチンの扉に古代文字風の装飾をほどこしたのはスペインの「DOCA」。
イタリア東海岸の街カーゾリのキッチンメーカー ARAN CUCINE。ブーメランのような曲面キッチンがユニークです。
こちらはクラシックタイプのラウンドキッチン。ウォークインクローゼットなども合わせて提案するのが大手メーカーの特徴。
同社の目玉は、建築家ステファノ・ボエリさんによるキッチン。
真ん中にフルーツの木を生やし、シンクやコンロ、フードな
どを全て隠したファンクションを持ちます。同氏はポルタ・
ヌオーヴァ再開発地区の高層マンション Bosco Verticale(垂直の森)の設計で知られています。
MARCHI CUCINEはミラノに近いクレモナのメーカー。木や金属、石の素材感を大切にしたモダンクラシックなデザインが特徴で、コンロを左右に配した左右対称のキッチンは、アンピール様式の家具を思わせます。
こちらはドイツの有名ブランド H.cker。カウンターにうづくりの天然木を使ったり、大理石風のデザインでまとめたり、自然素材を大切にしながら、機能とデザインを上手にまとめています。ヒストリーを紹介する部屋のインテリアも素敵でした。ポルトガルのオーダーキッチンメーカー J.Dias。ラウンドしたキッチンとダイニングコーナーを背中合わせにした大胆なスタイル。仕切壁には電動昇降するキャビネットを内蔵しています。
▲ LEDを使った家庭菜園は今年のトレンド。
サンマリノ共和国の FEBAL CASAは、キッチンだけでなくリビング家具も製作する総合メーカー。キッチンのテイストにあわせた AVボードやキャビネット、ソファ、テーブルなどが揃っていて、家全体をトータルにコーディネートできます。
ヴェネチアに近い AR-TRE CUCINE。昔の木製冷蔵庫のような扉がユニークです。スモーク入りのガラス扉を内部から照らし、中のものを浮かび上がらせるディスプレイが今年のトレンドになっていました。
50年以上の歴史をもつ SCAVOLINI。キッチン上部のパネルに、プランターやワインボトルを引っ掛けています。各社とも、天井高を活かしたステージのようなディスプレイを競います。ブースの制作費は数億円とも。
ヴェニスに近い Arrex Le Cucineは、世界 35カ国にイタリア製キッチンを輸出。カウンターの一部が可動するキッチンを提案していました。前回(2016年)は可動キッチン全盛でしたが、今回はだいぶ減ったようです。
デザインや素材感が多様で、世界各国の人を集めていました。節や傷のあるヴィンテージなテイストの木(メラミンやシート)を縦目につかい、大判タイルを使った天然石風の扉やカウンターなど。壁・床・天井の雰囲気も、それに合わせています。伝統技術と本物の素材を駆使したキッチンで知られるVerona Mobiliはロシアのメーカー。ヴィクトリア朝やアール・ヌーヴォーなど多彩なスタイルを、象嵌や銀細工、天然石を多用して手作りで表現した正統派キッチンです。
Rastelli Cucineは、カリム・ラシッドさんやフェルーチョ・ラヴィアーニさんとコラボレーション。ベルーガ(右上)はラヴィアーニさんのデザインで、真鍮の質感とダークオークのソリッドな立方体で構成されています。上下に動くシャッター式扉で隠れるキッチン(上)や、シンクに蓋をする仕組みなど、面白いファンクションがありました。
ドゥリーニ通りでは、Arclinea(アルクリネア)のフラッグシップショップがオープン。1925年、木工家具メーカーとして創業し、1963年に家電をビルトインしたキッチンを開発。1986年からアントニオ・チッテリオさんとのコラボレーションを始めました。
チッテリオさんの新作「La cucina celata」。オーク材の折れ戸(厚さ4cm)を設けたウォークインクローゼットのようなキッチンです。扉や壁、天井まで全てフラットなステンレスで統一され、LEDのライン照明によって空間に浮かび上がるように見えました。
カウンターのエッジには、ステンレス、天然石ともにリブが設けられ、スノコ状のプレートやマナ板をスライドさせて、シンクを隠したり、道具や食材を載せられます。バックパネルにも天然石を使い、木製のスパイスラックと対比させています。
メッセフランクフルトジャパン
第7信川津陽子
ヨーコの旅日記山中漆器の我戸さん
4月半ばの晴天の週末、石川県まで足を伸ばしました。金沢駅から車で山中温泉を目掛けていざ出発。運転を買って出たものの、ここ最近は年に一度や二度運転する程度。心も身体も心底震えながら、山中温泉に向かいました。よし、行き当たりばったりで行ってみよう!山中と言えば、ずっと気になっていた場所がありました。昔からお世話になっている我戸幹男商店が昨年 11月にオープンした直営店、「GATO MIKIO / 1」。我戸幹男商店と言えば、1908年にこの地にて我戸木工所として創業され、以来、伝統を守りながら山中漆器を世に広めてきた老舗。折角の機会だしお店を訪ねてみよう、でもわざわざ連絡したら
▲ 我戸幹男商店代表の我戸正幸さん。左は山中独自の「輪積み」で木地を乾燥している所。
▲ 我戸さんの直営店「GATO MIKIO /1」。
迷惑になるかもしれないし…そもそも我戸さん自身はご不在かもしれないし……。でも、とりあえず行ってみよう! のどかな風景を楽しむ余裕もなく、とにかく運転に集中してカーナビ頼りで目的地に到着。ん …… 。確かに周辺には工房らしき建物が並んでいるものの、何度かウェブで拝見していた店構えとちょっと違うような?でも確かに「我戸幹男商店」との表示がある。とりあえず車から降りて中を覗いてみるものの人影はなく、それではとドアに手を掛けようとしたところ、一台の車が停まりました。
「何やってんすか?」まさかの我戸さん。お互いにひととおりビックリしたところで経緯を説明。そこはショップではなくショールーム兼事務所とのことでした。急なアポなしの来訪にも関わらず、我戸さんは折角だからとショールームに招いてくださいました。成り立ちから我戸さんが代表になるまでの経緯など、いつもお会いしている東京ではなかなか聞くことができないお話に聞き入りました。その後、お店まで車で誘導してくださるとのことで、再び慣
れない運転で我戸さんの車を一生懸命追いかけます。途中、山中漆器の販売、実演、展示が全て揃う、いわば山中漆器のすべてがわかる山中漆器伝統産業会館内「山中うるし座」に寄り道。ここでは山中漆器の伝統技術・技法を継承するためのクラスが開講されています。ちょうど行われていた授業を窓越しに拝見しました。若い人たちが目立ちましたが、修了生はその後 2年間、同館内の工房を無料で使用できるという制度があるそうです。更なる技術習得はもちろん、受注製作にも使用できるこの場所はスタートアップを目指す若手技能者にとって非常にありがたいバックアップシステムではないでしょうか。工房も覗かせていただき、石川県の漆器産地の中でも「木地の山中」と呼ばれるこの地で、木地師となった畑尾さんが轆轤(ろくろ)挽きの実演を見せてくださいました。轆轤の機械を止めて優しく椀に触れては仕上げを確認する。繰り返される作業工程はとても美しくいつまでも見ていたい気がします。同じく目を奪ったのは加飾挽きに使われる道具。これら鉋(カンナ)も作品に合わせて木地師が作るそうです。職人技は道具の準備段階から既に始まっているのですね。そして、最後に「GATO MIKIO/1」に到着。店構えはもちろん、「こおろぎ橋近く」、という地名にも心惹かれます。上質な品々を手に取りながら、その奥には青々とした木々と
▲ 鶴仙渓のカフェ「東山ボヌール」。
▲ 山中うるし座で、畑尾さんの轆轤挽きを拝見。
川の音が心地よい鶴仙渓(かくせんけい)を一望する心地よい空間。とても贅沢な時間が流れます。結果、アポなし突撃がご迷惑になってしまった気もしますが、快くご案内いただいた我戸さん、おもてなしをありがとうございました。
その翌日も、夕飯場所がまだ決まっていないのであればお薦めのお店があると予約手配までしてくれた、たまたま訪れたカフェの若いオーナーさん。そして、そのお店に向かうために拾ったタクシーの運転手さん。お酒の飲み過ぎで身体を壊しかけ、健康のためにできることを模索し、結果、飲酒とは無縁のタクシー運転手に転職したという穏やかで優しいおじさん。「運転手さんが若い時はね……」といった調子で自身のことを「運転手さん」と、そう呼ぶ姿がとても印象的でした。そして、先代が亡くなられたあと、女将さんとご長男との 2人で営むお寿司屋さん。この後ひがし茶屋街に行きたいと伝えると、「うちのリムジンでちょいとそこまで送ってあげる」と寿司の出前用ワゴンを出してくれた女将さん。みなさんに共通していたのは、温かみとゆるい感じのユーモア。今回の旅はその土地の人から人へ導かれた感を強く受けました。これが行き当たりばったりの、旅の醍醐味かもしれません。
Report/Photo by HERMINE
どんなに科学が進んでも、食べない事には人間、生きてゆく事ができません。食は全ての源。その生産を担う主役は、やはり農業でしょう。食料問題はもちろん、遺伝子操作、政治や自然環境など「農」にまつわる話題はこと欠きませんが、とりあえず現代の農業機械はどうなっているのかを見てみましょう。 2年に一度、ドイツ ハノーバーで開催される、世界最大級の農業産業見本市「アグリテク見本市で大切なのは、お客様との商談。ニカ」(今回は2017年11月12 日〜18日。次回は2019年11月10日〜16日予定)。各社のブースは凝ったインテリアで来場者ドイツ北部ハノーバー市街から、トラムや幹線鉄道で 20分もあればアクセスできる広大なへのおもてなしにも力が入ります。デザイハノーバー国際見本市会場(東京ビッグサイトの倍以上)のほぼ全域を使い行われます。ンの見事さはヨーロッパならでは。上はド52カ国から約 2,800社が出展。128カ国から 458,000人の入場者がありました。イツ MERLO社のブース。12.5メートルクラスの巨大なヘッダーを装着したコンバイン。車両というより、もはや建物並みのサイズです。この規模の展示物を各社多数並べるため、会場の広さも相当なものになります。展示物が魅力的に見えるよう、ブースの照明やセットに細心の注意を払うのがヨーロッパ流。車両デザインが進んでいるだけではなく、見栄えに対する意識の高さがうかがえます。
代表は、やはりトラクター。サイズは日本よりかなり大きく、空調完備の立派なキャビンを持っています。各社デザインを競っていました。
Deutz-Fahr(ドイツファール)社のトラクター。デザインはジュジャーロデザイン。成形パーツや曲面ガラスを多用するなど、コストを充分にかけて、魅力的な外観になっています。インンテリアも広い視界や内装トリムによって、たいへん居心地の良い空間に。乗ったまま長時間の作業を強いられるオペレータにとっては、居住性は重要な要素です。トラクターは後ろに付けるアタッチメントによって機能を自在に変える事ができる汎用機なので、室内の操作部は多様な機能に対応できるよう、沢山のレバーやスイッチが並びます。それらを配置や色分けによって容易に操作できるよう配慮されています。
環境への配慮や自動化は、農機業界でも見られる動きです。ただし電動化やハハイテク!?イブリッドなど自動車分野のような流れはあまり目立ちませんでした。
左:オーストリアのリンドナー社による自動運転コンセプト展示。キャビン上部に取付けられた 8台のカメラによる画像により車両周囲の状況を把握して、自動オペレーションを実現します。ZF社との共同開発。他のメーカーもレーザースキャナーやカメラ、衛星による測位など、自動運転の研究を進めている様子でした。
ディーゼル全盛の現状を変えるような動きは目立ちませんが、このコンセプトカーはメタンを燃料として動くエンジンを搭載しています。
メタン燃料のエコトラクターです。エンジンの技術的提案というより、農業生産によって生じた廃棄物(糞尿等)からメタンを生産し、それを燃料とするエコシステムの提案です。日本でも北海道の十勝で農業廃棄物から水素を生産し、発電や燃料電池駆動のクルマやフォークリフトを動かすテストを行っています。肥料ぐらいの認識しか無かった糞尿が、新しい技術によってエネルギーになり、SF的デザインに包まれて展示されているのは、とてもユニークに感じました。