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未知の領域には「数々の危険」や「自然の驚異」が待ち受け、彼らの前進を阻みましたが、彼らの「不屈の精神」と「相互扶助の結束力」が開拓の最前線(frontier -lineフロンティアライン)を着実に西に進めました。未開拓、未踏の分野に果敢に挑戦すること」
次世代につなぐデザイン展 旭川駅のステーションギャラリーにて
▲左は世界初のカンチレヴァー椅子を開発したマルト・スタムのパイプ椅子(1930年代)。大人用と変わらない構造と材質で作られています。右はアレクサンンダー・ベグのカサリーノジュニア(1970年代)。FRP製の椅子で大人サイズもあります。 ▼サルの木製おもちゃで知られるカイ・ボイスン工房の「ダックスフント」。
JR旭川駅内の「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館ステーションギャラリー」にて、織田コレクションと旭川家具から、子どものためにデザインされた椅子を集めた展覧会「次世代につなぐデザイン」(2019年8月3日〜9月29日)が開催されました。子どもを一個人として認め、大人と変わらないデザイン、質の高さをもった椅子たちです。
▲珍しい竹製の子ども椅子。ロッキングチェアになっています。
▼左はヴェルナー・パントンの試作品(PPモブラー製)。右はモーエンス・コッホの折り畳み椅子(1932年)。サイズを小さくした子ども版。
成型合板の椅子を数多くデザインしたチャールズ・イームズ&レイ・イームズの子ども椅子(1946年)。1枚の薄い合板を成型して脚と座面を作っています。戦時中にイームズは、海軍から成型合板製「添え木」の発注をうけ、最新の成型合板技術を獲得します。戦後はそれを家具に活かし、3次元成型合板製の椅子も開発しています。
▼スティーン・ドゥホルム・シーユステッドによる1996国際家具デザインコンペティション旭川グランプリ作品。一枚の薄い合板で出来ていて、組み上げると立体になります。
TIME & STYLE、工房宮地、匠工芸などの他、木工家の家具も見られます。
センターに隣接するカフェダイニング「パレンタ」は、エフ・ドライブデザイン木田尚史さんの呼びかけに応え、旭川のデザイナー、若手家具職人たちが知恵を出し合って作り上げたオール旭川のカフェ。入ってすぐのビッグテーブル席や木の年輪をあしらったカウンター、オープンキッチンも独創的。奥のテーブル席にはいろいろな椅子が使われ、照明には太陽光再現照明システム「CoeLux .(コールクス)」を採用しています。
25
年。
久しぶりの楽記です。山の中の「ふじの」工房へ移り住んで
「工房づくり」と「モノづくり」であわただしく時間ばかりが過ぎていく。デザインというより、家具というより、文化というドデカイ何かに触れる時間を欲していた。そして、ここ数年好きな作家「原田マハ」さんの美術小説に刺激を受けていた。
注)台風
19
小さなギャラリーを2つ作った。
「ふじのリビングアートギャラリ
ー」と称して、地元の作家の展覧会を企画している。絵本作家西村繁男さん、いまき
みちさんの原画展は、 4年連続で催している(今回は、 11月
4
日㈷まで開催中)。西村繁男ファンのみならず、地元の人たちも喜んでくれている。
号の影響で、展示場所を
移転しました。現地でご案内します。
西村繁男さんの絵本『たたたんたたたん』、『母の友』表紙原画、いまきみちさん『ゆうちゃんとひよどり』原画を展示。
今年やっと完成した「土の家ギャラリー」では、鉄の作家中里繪魯洲さんの「そうぞうしい椅子展」を夏からずっと催している。会期があって、ない? オイラのように、いいかげんな会期である。繪魯洲さんには、2年前から「とんでもない椅子のオブジェ」を作ってほしい、とお願いしていた。想像を超える作品が生まれ、うれしいかぎりだ。
▲「土の家」は、彫刻家のマークさんと藤野の人たちが力を合わせ、丹精込めて手作りしたセルフビルドの家です。
11月16日㈯からは「ふじのフェルト展」。
フェルト?フェルトの新しい世界に、地元作家
人
がチャレンジしてくれている。布の原点である縮絨という技法で生まれ育ってきたフェルトは、オイラ好みの布アートだ。このフェルト展も 2月までの長い会期で、ゆったりやりたい。
椅子も好きだけど、絵も好き。
布も好き。鉄も好き。
好きで、ジャンルを超えるのがアートだ
と思う。
自由に、楽しく、縛られないアートの展
覧会を、小さく、やり続けていくのが、「オイラの文化」かな?
5
▲手作りしたい人のワークショップ相談コーナー。
神秘の神居古潭旭川市郊外。札幌と旭川を結ぶ国道12号沿いにある石狩川の渓谷カムイコタン(神の里)。
渦を巻く渓谷は古代から河川交通の難所であるとともに、天塩山系、石狩山系に挟まれた食料の豊かな場所でした。219基もの竪穴式住居跡やストーンサークルが見つかっていて、大きな集落や札幌方面からの侵攻を抑える、砦があったと考えられています。アイヌ民族の神話も多く残っていて、なかでも邪悪な魔神を倒した「サマイクル伝説」が有名です。ちなみに明治20年頃、札幌〜旭川を結んだ国道12号は、囚人による人力のみの過酷な工事によりひらかれ、「囚人道路」とも呼ばれます。特に難所の多い神居古潭周辺は、多くの犠牲者をだしました。
橋を渡った先に、旧神居古潭駅があります。明治23年、旭川村が北海道内陸開発の拠点として開かれると、明治31年に滝川〜旭川間に鉄道が開通し、明治34年、神居古潭簡易停車場が設置されました。休憩所として復元された駅舎とトイレは明治43年に建てられたもので、昭和44年に伊納駅〜納内駅間のトンネルが出来るまで使われていました。
北海道の鉄道開発はアメリカ人技師によってスタートしました。そのためか、旧神居古潭駅もアメリカ開拓時代の雰囲気を漂わせ、本州の明治時代の駅舎とは異なった雰囲気です。
Spring
白いもやを風がはらってくううん hot springだって
逆三角形がひかってるあそこまで競走しよう
Vol.04
原作: タカハシヨウイチ 寧江絵 : タカハシヨウイチ
木造建築の未来をひらく Hokkaido CLT Pavilion
ミース・ファン・デル・ローエ「ファンズワース邸」を思わせるデザインの「Hokkaido CLTPavilion」。CLT(クロス・ラミネーティッド・ティンバー)の建築利用を研究する、北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場(旭川)により、その敷地内に建設されました。
林産試験場は旭川駅から南に7kmほど、JR富良野線や国道237号(花人街道)からもよく見えます。技術部生産技術グループ主査の大橋義.さんに、CLT Pavilion建設の背景や、その特徴などを解説して頂きました。屋根・天井には、カラマツ製CLTとトドマツ製CLTが使われ、逆梁工法のため天井に梁がなくすっきり見えます。
Hokkaido CLTPavilionの設計はコンペによって選ばれた札幌の「遠藤建築アトリエ」(代表遠藤謙一良さん)が担当。平成29年度国土交通省サステナブル建築物等先導事業に採択され、建設が実現しました。建築面積=115.36㎡ 延床面積= 83.44㎡。
木の板(ラミナ)を平行層、直交層に交互に直交させて積層したのがCLTの特徴です。このパネルは約3cm厚のカラマツ製ラミナを5枚積層(15cm厚)しています。
CLT( Cross Laminated Timber)は、木の板を直交させて積層した木質パネルで、全方向に対して均質な強度、寸法安定性をもち、大面積パネルの製造が可能です。90年代にヨーロッパで開発され、建築、土木、内装、家具材として欧州では年間100万㎥にまで需要を伸ばしています。一方日本でも、スギなどの国産材を活用する手段として注目され、現在は年間1万㎥強の需要を、今後10年で50万㎥にすることが国の目標とされています。
CLTの特徴は、なんといっても巨大なパネルが作れること。欧米では最大4×20mほどのパネルが生産され、鉄筋コンクリート造や鉄骨造にかわり、CLT造の中高層ビルが増えています。RC造などに比べ重量が軽いため、ロンドンなど都市部の軟弱地盤でも、地盤改良を行わずに建物の容積を増やすことが可能です。CLT先進国オーストリアでは首都ウィーンに、24階建て高さ84mの高層ホテル・オフィスビル「HoHo Wien」が建設中です。日本でも首都圏で十数階建てのビル建設がすすむなど、厳しい耐震基準や防火基準をクリアしてCLTを活用する試みが進み、現在日本には300棟ほどのCLT建築があるといわれます。
▲ ウィーンで建設中のCLT高層ビル「HoHo Wien」。
照明は壁の上部にLED間接ライン照明を設置。配線は壁パネル同士の隙間を利用しています。
林産試験場は6年ほど前からCLT建築の研究を進めています。その背景には、北海道特有の事情があります。全国にはJAS認定のCLT工場が8社ありますが、大半はスギを原料としています。一方、北海道には伐採期をむかえたカラマツやトドマツが潤沢にあり、その利用が課題です。そこで「Hokkaido CLTPavilion」は、道産のカラマツ、トドマツを使い、スギCLTよりもカラマツは2倍、トドマツは1.5倍という強度に優れた性能を活かすとともに、実地の性能試験を行うことを目的としました。室内には各種の実験装置が設置され、床パネルの歩行振動特性、屋根パネルの積雪時変形量、冬季乾燥環境でのパネル表面の形状変化、耐候性・耐久性、断熱・気密等の温熱性能といった実験が行われています。
▲壁量を少なくし、屋根、床に大面積パネルを利用した構造を模型で表現。設計段階での意思疎通に役立てました。
CLT造は、RC造や鉄骨造に比べ重量が軽く、通常は壁構造で建てられ、RC造などとあまり変わらない外観の建物が多いようです。一方、大橋さんは、従来の木造では出来ないデザインを行い、見る人に強い印象を残したいと考えました。そこで壁量を少なくガラスを多用して、全方位に軒先を大きくはね出した、開放的で魅力的な外観を生み出しました。床と屋根を2枚の大きなスラブでサンドイッチしたような構造を強調するため、フルハイトのガラス窓を使い、床、天井が室内から室外へフラットにつながるよう見せています。梁のない天井面に緑が映り込み、外部の自然を感じられます。
CLTの特性を活かし、軒先は最大2.5mも張り出しています。床は室内にはシラカバのフローリング。外はカラマツのデッキ材をフラットに敷き、レベルを合わせています。平成28年には、建築基準法でCLTの構造設計法・材料強度が制定され、一般的工法としてスギCLTがオープン化されました。それに続き、今年3月、カラマツCLT、トドマツCLTもオープン化され、より使いやすくなりました。今回は汎用性のある設計とするため設計ルートにはあえてルート1を使い、一般的な工法としてCLTが採用できることを示しました。Hokkaido CLTPavilionの建設は、今年冬に行われました。杭打ち基礎工事に4日、CLTパネル工事に5日、計9日という短工期で躯体が組み上がりました。基礎工事:鋼管杭を回転させて地面に打ち込み、鉄骨の基礎を組みました。地面から1mほど基礎をあげることで、木造躯体の劣化を防いでいます。床スラブ工事:大判のカラマツCLT、トドマツCLTを3枚ずつ使い、鉄骨基礎に載せてボルト止めします。6枚のパネルを載せるだけなので、工期は1日で済みました。壁工事:耐力壁の接合には「通しボルト」が採用されました。パネルの側面に溝を掘り、床パネルと屋根パネルにボルトを結合し、引張接合によって壁を固定しています。パネル同士の隙間は、配線コードなどを通すために利用しました。屋根:2.2×9.7mという超大判のパネル8枚(カラマツ4枚、トドマツ4枚)を接合しています。大判パネルの生産は、道産材を岡山の工場に送り、出来上がったCLTパネルをトレーラーで旭川に輸送しました。逆 梁:この建物の特徴となっているのが、屋根の上に固定された「逆梁」です。これによって、室内からは梁の見えないフラットな天井面が実現しました。屋根には防水ルーフィングを施し、フラットルーフの無落雪屋根としています。壁と床、天井の接合には、長いネジを使った「斜め打ちビス接合」が採用されました。従来は下のようなL字型金物などを使っていましたが、ビスの方が接合部をすっきり見せられ、施工も簡単です。
RC造のようなデザイン性と、木造の温かみを兼ね備え、壁の少ない開放的な空間をつくれるCLT建築。今後、日本でもポピュラーな工法として普及するCLT造。設計者、デザイナーの知識が求められていくと思われます。
新世代のオフィスと働き方に注目 HoReCa(ホテル、レストラン、ケータリング)専用ホール登場
IFFT/インテリア ライフスタイル リビング ambiente(アンビエンテ消費財見本市)
2019年 11月 20日(水)〜 22日(金)2020年 2月 7日(金)〜 11日(火)
東京ビッグサイト南展示棟 10:00.18:00(最終日は 17:00まで)フランクフルト国際見本市会場 9:00.18:00(最終日は 17:00まで)
毎年秋、東京ビッグサイトで開催されるIFFT/インテリアライフスタイルリビング。その姉妹見本市であるドイツ・フランクフルトの ambienteが、合同発表会をひらきました。場所は代々木上原、SUPPOSE DESIGN OFFICE 特別企画「Office-Up」は実際のオフィスをイメージ。社食堂では普段、日替わり定食やカレーを頂けます。
Co., Ltd.に併設された「社食堂」。スタッフの社食である OFFICE Co., Ltd.の谷尻誠さん、吉田愛さんにより、オとともに、一般の人にも食事や飲み物を提供するオープンフィス空間や働き方をテーマとした特別企画「Office-Up」なスペースです。今年からIFFT/インテリアライフスタイが企画されました。展示自体が、新しい働き方を提案しル リビングのディレクターとなった、SUPPOSE DESIGN たオフィスになるようです。
飛騨から初出展の「木と暮らしの制作所」。
IFFT/インテリア ライフスタイル リビング は、今年はじめて東京ビッグサイト南展示棟(西館の奥)で開催されます。会期は11月20日(水)〜 22日(金)まで。質の高い国産家具をまとめて見られる場所が減る中で、今年も旭川、静岡、飛騨、大川、和歌山などからの産地パビリオンが出展。各メーカーの最新作をイッキ見できる貴重な場を提供します。
ENTERPRISE ESTONIA 「AS Balteco」。
海外からは、北欧エストニアが 25社以上を集中出展。浴槽、家具。デザイン小物など多彩なメーカーが来日します。ちなみに IT立国として成長したエストニアは、デザイナーの割合の多い国としても知られています。
「CREATIVE RESOURCE」では、建築家芦沢啓治さんディレクションによる特別展示「アップサイクルって何?」を開催。トラフ設計事務所、minna、イトウケン
Artistic Textile Editors Tokyo 2019。
ジ (MUTE) 、Yusuke Seki Studioが参加して、リサイクルの先にあるといわれるアップサイクルを提案します。そのほか ChristianFischbacher、DESIGNERSGUILD、 NEED'Ktextile、ZIMMER+ROHDEというホームテキスタイルエディター4社が集結した「Artistic Textile Editors Tokyo 2019」や、人気の講演会「LIFESTYLE SALON」など盛りだくさんの内容です。アンビエンテブランド総責任者ニコレット・ナウマンさん。
毎年2月ドイツフランクフルトで開催されるambienteは、世界最大級の消費財見本市。2020年2月7日(金). 11日(火)まで開催されます。前回の出展者数は 92カ国・地域から4,460社。167カ国・地域から約136.000人が来場しました。出展者、来場者ともにドイツ国外の割合が高く、1年の契約の大半を期間中にとる出展者もいるほどの国際的なビジネスの場です。会場が広大なだけに、
「HoReCa」専用ホール 6.0が新設されます。
バイヤーが求める製品群をまとめ、的確にブースへと誘導する会場構成が重視されています。今回から「HoReCa」(ホテル、レストラン、ケータリング)に特化した専用会場がホール6.0に設けられ、約100社が参加。欧米でコントラクトはホスピタリティと呼ばれ、いま最もダイナミックに躍進するジャンルです。その動向を講演などから学べる「HoReCa Academy」も開かれます。前回好評だった「JAPAN STYLE」の日本酒バー。
毎年恒例となった「JAPAN STYLE」は、ホール 8.0に出展。昨年は日本から20社が出展し、日本酒バーが設けられるなど、大いに盛り上がりました。特定の国のプロダクトやトレンドにファーカスした「Focus onDesign」が、今回からスタート。第一回はブラジルが選ばれ、5つのデザイン事務所が参加。成長著しいブラジルデザインの世界が展開されます。
美瑛の川でヤマベを釣る
滑りやすい岩の上を気をつけて歩き、上流に向かって釣行します。沢登りを楽しみながら、魚を釣っていく感覚。流れの落ち込みや岩の影を狙って釣り針を落とし、流れにそって竿を動かします。この日の餌はブドウ虫でした。釣り好きで知られる井伏鱒二は、ヤマベの難しさを書き残しています。「山女魚は鈎にかかると、川かみに向かって逃げようとする習性があります。同時に頭を左右に振る習性があります。それで川かみに引き上げると、顎のない鈎だから抜け落ちるおそれがある。ことに堅い穂先きの竿では、必ず落ちるものと思わなくてはいけない。」『 川釣り 』より
ヤマベの他に、イワナも釣れました。秋にはキノコのシーズンが到来し、サケ・マス類の遡上も始まりました。海の栄養素を体にたっぷり蓄えたサケ・マスは、山の動物・鳥にとって不可欠な食料となり、海洋の成分を川の奥深くまでもたらして、森の樹々や草木の生長を助けています。
美瑛町の耕地面積は、12,600ha。主要作物である小麦、馬鈴薯、てんさい、小豆などの作付を毎年変える輪作をおこない、畑の土が痩せることを防ぎます。これが美瑛独特の「パッチワークの丘」と呼ばれる丘陵地帯を生み出します。
小林 清泰アーキテクチュアルデザイナー ケノス代表
アメリカ小売業の著しい変化この2年 -Ⅲ -オーガニックスーパーマーケット台頭の兆し .
前回とりあげた「 MOM's Organic Market」は、購買層の主力となるデジタルネイティブな「ミレニアル世代」を中心に、各地で支持を広げています。今回も引き続き、同社の企業活動を紹介しながら、日本のスーパーマーケット(以下 SM)はもちろん、企業として強く意識するべき点や、サスティナブルな観点で取り組まなければならない社会的な役割についてお話したいと思います。まず私の専門分野である店舗の建築まわりから、このチェーンの目指すところ、目的の方向性を探ってみましょう。
■ 建築、設備など施設面について
1
)効率的に冷暖房するため「HAVC(Heating Ventilation and Air Connditioning)」を採用しています。これはファンで
「No Bees, No Food」ミツバチの保護を主張したイベント。
送風、熱交換器で除湿・冷房、暖房された空気を風路調整機構(内気、外気、温度調節、吹き出し口切り替え制御ユニット)でコントロールします。日本の空調機器は冷やす能力が高い一方、湿度コントロールに重きをおいていません。これはデシカント空調(温度と湿度を分離制御する空調システム)と思われるので、さわやかな空気環境が得られます。しかし機器が大型になり、日本での採用例は非常に少ないです。
2)Green Chill Gold認定基準を満たした冷媒 ( 地球温暖化係数1の自然冷媒であるCO 2と思われる)を使用。日本では今年、代替フロンの削減がやっと法制化されました。もっと早く全世界的に実行しないと地球温暖化の上限(気温 +1.5℃以下)を実現できないでしょう。注=冷媒は室内機まわりの熱を回収して室外機器まで運び、外気にその熱を捨てる運搬物質を指します。3)リサイクルされたデニム素材によって作られた断熱材の採用。これは断熱性能を数値的に確かめないと評価出来ません。4)そのほか、雨水管理、空気浄化、屋根葺き素材の寿命延長、生物多様性の向上を支援するグリーンルーフなどを実践。屋上緑化は高い省エネ効果を発揮しますが、日本では台風などの風による被害や、緑化による荷重増加が地震耐力に不利に働くことから積極的に採用が進みません。
5
)トップライト(天窓)を採用。SMは生ものなど温度にデリケートな食品を置くため、建物の方位によっては直射光のコントロールが難しく、採光には緻密な計画が求められます。
■ 電力の省エネ化、ゼロエネルギー化
「 MOM's Organic Market」は、太陽光と風力、2種類の再生可能エネルギーで、使用電力を100%賄っています。1)太陽光発電では、2016年に自前のオフサイト型(使用場所以外で発電する方式)の1.5メガワットソーラーファームが稼働し、19店舗の総電力量の 25%を賄いました。また2017年開店の新店屋上にソーラーパネルを設置し、電力使用量の30%を補っています。2)風力発電では 2017年、再生可能エネルギークレジットの購入により、全店使用電力量の75%を相殺しています。日本では電力会社が再生可能エネルギーを高値で買いとっていますが、エネルギー製造と使用の自前化、つまりエネルギー製造の分散と自前という原点を阻害しているように思います。
■ プラスチックへの依存度を減らす
先日の大阪サミットでも、プラスチックによる海洋汚染が大きな問題として取り上げられました。プラスチックの削減も、このチェーンの大きな取り組みです。
1.5メガワットの発電能力をもつ自社のソーラーファーム。
大半のプラスチック素材には自然に還る生分解性はなく、人間により合成された地球上には元々存在していなかった物質です。クジラが餌と間違えたり、マイクロプラスチックを飲み込んだ小さい魚を食べてしまうと、クジラの体内で多量のプラスチックが消化分解されず残ってしまい、それが原因で死んでしまう状況が世界中でみられます。食料販売を営む一部の企業は、深い理想を構築し、自らプラスチックへの依存を断ち切ろうとしているのです。以下「 MOM 's 」の具体的な取り組みとして、1)2005年、ビニール袋の廃止。青果など農産物部門ではコンポスタブルな袋の使用、レジチェックアウト時は紙袋で
商品を渡しています。
2
)2010年、店舗全体で Plastic Surgery(プラスチックの除去手術)開始。最も大きいSurgeryはボトル入りウォーターの販売をやめたことです。それに替えて給水器と、水を飲むコップをコンポスタブルな容器に置き換えました。その一つの例が、私が思わず購入したネイキッドランチと書かれた蓋付きドリンク用コップです(前号参照)。3)2018年は、お客様のマイバッグ持ち込みが1日あたり7,205件に達し、年間でレジ袋 2,629,920枚相当の環境悪化を防いだことになりました。
■ 社員に提供されるメリット、特徴ある制度
「 MOM's 」は社員の就業期間をのばすため、教育、自己啓発、休暇などをしっかり提供しています。1)店舗での商品購入割引。全ての従業員は部門を問わず、全ての商品を30%引で購入出来ます(もちろんスーパーセールや特別値引き品は除かれます)。2)食事が無料。全ての従業員は、勤務シフトごとに無料のネイキッドランチ(前号掲載)を受け取ることが出来ます。3)グリーンベネフィットの提供。正社員には標準的な福利厚生パッケージに加え、「グリーン福利厚生」と呼ばれる環境に優しいセットが提供されます。それはなんと、ハイブリッド/電気自動車をはじめ、水の濾過システム、レインバレル(雨水貯蔵タンク)、有機素材のマットレスなどです。これらによって、質の高い食事の摂取、エコフレンドリーな移動手段、健康の基本である「睡眠の質」を提供し、従業員のモチベーションアップに役立ています。4)有給産休を実施。出産または養子縁組の後、資格のある従業員は最大 6週間の有給産休をとれます。「私たちは、あなた達に新たに加わった家族とともに過ごす時間が重要だと信じているからです」と案内にはあります。 その他にも、フィットネスジムのメンバーシップ(毎月わずか4.62ドル)、個人能力開発機会の提供など、意識の高い社員のモチベーションを高める工夫を重ねています。
■「 MOM'sの文化」(MOM's CULTURE)をうたう
日本の企業はホームページに「企業理念」や「CSR方針」を掲載しています。一方「 MOM's」は、自社のコアヴァリューを「 MOM 'sの文化」とうたい以下をあげています。
1
)環境修復(ENVIRONMENTAL RESTORATION)私たちの目的は、環境を保護し復元することです。 MOM 'sは
店内に設けられたリサイクルボックスは、細かく分かれている。
世界観を共有し、独自の専門知識を持つ組織と提携することで、環境に最も大きな影響を与えることが出来ると考えています。 MOM 'sは毎年50万ドル以上を非営利団体に寄付し、地域社会のイベントを定期的にサポートしています。さらに MOM'sの社員は、自主的な清掃や見学に参加しています。
2)基本的価値観 (CORE VALUES)私たちのコアヴァリューは私たちを定義し、日常の決定を形作ります。・あなたの感謝を見つけます。・私たちは他の人を向上させることで成長します。・私たちは成長する勇気があります。・自我を開放します。・あなたが変えられないものを受け入れ、あなたが出来るものを変えます。・あなたの目的を忘れません
「 MOM 's Organic Market」は、本部のあるメリーランド州を中心にワシントン D.C.をはじめ4州19店舗しか出店していないリージョナル(地域)チェーンですが、この高い志にもとづく企業のあり方を「文化」と捉え、誇り高く表現し、情報発信しているのは驚くべきことです。こうした企業文化は、理論や学問からではなく、社員への愛情と、お客様に本当の意味で安心、安全、そして健康的な商品を一丸となって提供しようという自信に満ちた「実践」からでてきたものでしょう。ここまでサスティナブルな環境づくりに配慮した企業に出会ったのは初めてでした。環境に配慮した店舗デザイン、自前のエネルギー管理、高いクオリティーのオーガニック商品、廃棄システムをはじめ、長期雇用と社員を育成する姿勢は、次世代 SMチェーンのありたい姿を網羅しています。まだまだお話ししたいことが沢山あり、全てを語り尽くせないほどです。
オルテの丘
丘の町として知られる「美瑛(びえい)」。オルテの丘は、小宮夫妻が15年かけて築いたオープンガーデンです。
オルテの家の前には、丹念に手入れされたラベンダー畑がひろがります。花の季節が終わると、小宮さんはラベンダーを刈り込み、冬の到来に備えます。春から秋のシーズン中、ガーデンは一般公開され散策路を自由に歩けます。野菜畑では、トマトやかぼちゃなど、様々な野菜を育てています。この日は、立派なスイカを頂きました。小宮さんは15年にわたり、ひとりの開拓民としてこの丘をひらき、豊かな土地に育て上げてきました。
農業用水にそってひらいた「哲学の道」。京都・琵琶湖疏水ぞいの哲学の道にならった夕日の美しい遊歩道です。「「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を 吾は行くなり」散策を愛した西田幾多郎の言葉が刻まれています。
神々が遊ぶ庭(カムイミンタラ)がひろがるオルテの丘。春になると森の中では、フキやウドなどの山菜が採れます。
ヨーコの旅日記第23信インテキ上海と病み上がりの彼川津陽子メッセフランクフルトジャパン
▲「インテキ上海・アパレル」の会場風景。 ▲ JFW推進機構主催のジャパンパビリオン。 ▲華やかな 25周年レセプション。
9月は上海で締め括りとなった。アパレルファブリックスと服飾アクセサリーを対象とする国際見本市「インターテキスタイル上海アパレルファブリックス」への出張である。我々日本支社やクライアントは、
「インテキ上海」、「インテキ アパレル」などと呼んでいる。このインテキ上海・アパレルは、毎年、秋と春の年 2回開催されている。初回は 1995年。123社の出展者を集めて開催された。それから25年で出展者数4,422社、来場者数 8.9万人を記録するという、ここ四半世紀の中国市場の急発展を象徴するかのような、著しい成長を続けている見本市のひとつである。日本からも「Rakuten Fashion Week TOKYO」や「JFWジャパン・クリエーション」を主催する一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構(以下、JFW推進機構)率いるジャパンパビリオン出展者と、個別出展者とで計 46社の企業が参加。会期中はどのブースも終始賑わいを見せていた。ジャパンパビリオン出展者のファブリックスを通じてトレンドを発信するキュレーションも常に来場者で溢れ、中国での日本のアパレル生地の素材・デザインへの関心の高さがうかがえた。そして、こうした大型の見本市には、やはり世界各国から同僚たちが集合する。この連載でも何度かご紹介したが、我々メッセフランクフルト グループでは、各国の支社やパートナーが集まるほとんどの見本市において会期中に「ファミリーディナー」という名の食事会が催される。今回のファミリーディナーは、香港を拠点にファッション・インテリアブランドを展開する、SHANGHAI TANG(上海灘)のレストランで開催された。ラグジュアリーで煌びやかな外観や内装に圧倒されたが、中に入ると「THE 中華料理!」のお馴染みの回転テーブルが広がり、なんだか少しホッとする。我々日本支社メンバーと同じテーブルには、主催者以外に、フランス人、インド人の同僚が一緒になった。インドのあの彼が同じテーブルにいる。会うたび破壊的な笑いを誘う、あの彼だ。これはただのディナーで済むはずがない。以前、インド支社の社長について書いたが、
▲ 出展者の生地を使ったファッションショー。 ▲ 来場者の関心度が高い Trend-Forum。 ▲ 世界各国の同僚が集うファミリーディナー。 ▲ 笑顔が眩しい インド支社の彼。
同支社には他にも、非常に気になる仲間たちが存在する。それ以降も、年に数回どこかで彼に再会する度に「あっ、光景を前に、彼と目が合い、苦笑い。そのひとりである彼との久々の再会。ワクワクが止まらないた!」と瞬時に嬉しくなる。まるでこちらの笑いのツボそしてファミリーディナーも後半になると、注がれたドリンい。彼との最初の出会いは、もう何年も前に参加した香を押さえているかのような笑みを浮かべて近づいてくる。クを乾杯後即座に飲み干さなくてはならない、中国での港でのマネジメント・トレーニングであった。香港での開ハグまでの時間にすでに笑いが起こってしまう。表情や宴ならではの「カンペイ」がどこからともなく始まった。も催だけに、参加者の大半が香港支社の同僚たちであった所作が常にコミカルで、まさにエンターテイナーのようでちろんその彼は、大好きなお酒も控えて、この日はオレンが、インド支社の代表として彼も参加していた。ある。ジジュースで乾杯。気の毒に思ってか、意図的になのか、
ピシッとした決まったスーツで、マスタッシュを生やし、表そんな、毎回、マシンガンのように語り、場を盛り上げるグラスが空く度に、誰かが速やかにオレンジジュースを足情豊かな彼は小柄ながらも、会の始めから存在感を放っ彼だったが、今回だけは様子が違った。聞くところによしていく。また、それに応戦してなのか、期待に応えるかていた。流暢な英語は集中しないと聞き取れないほど早ると、なんと最近デング熱にかかり、病み上がりとのこと。の如く、彼もすごい勢いで飲み干していく。どんな状況に口だが、とにかく頭の回転も早い。インストラクターや同折角初めての中国だというのに、食事制限を余儀なくさおいても笑いを生み出す、愛されキャラの彼のグラスには、僚の発言に即座に反応しては、何らかのスパイスを与えれているというのだ。目の前に肉料理や揚げ物料理が並どんどんオレンジジュースが足されていく。「別の病気になてくれた。「クラスに必ずひとりはいたよね」的な存在で、ぶ中、このファミリーディナーでも、彼はひたすら野菜をっちゃいそうだよ」と、半分涙目にも見えるその笑顔に、笑いを巻き起こし、同時にインストラクターからの問いか食べるしかなかった。事情が伝わったのか、レストラン今も思い出し笑いしている。けに全員がし〜ん、となると、率先して突破口を開いてく側の計らいにより、彼の目の前には、ただひたすら大量25年目の記念すべきインテキ上海・アパレルが、またひとれるような、とても有難い存在でもあった。のグリーンピースだけが乗った皿が置かれた。シュールなつ、いろんな意味で忘れられない思い出の出張となった。
世界各国から観光客が訪れる一方、農家戸数の減少が長年の課題となっています。新規就農を目指す若者もいるものの、初期投資の資金や住居の確保が難しいといわれます。
「六花亭旭川豊岡店」は、サーモンピンクの建物のまわりを緑の樹々で囲んでいます。
広々とした天井の高い店内は、天井のフラットな照明で照らされています。奥にはカフェがあり、店の菓子をもちこんで無料でコーヒーを頂けます。ガラスの開口部には、夏仕様の簾戸がはめられていました。冬場は障子に替えられるようです。
店舗奥のインスタレーション。木の向こうは交通量の多い道路ですが、別世界のように涼やかです。
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「才能ゼロ !」そんな言葉にめげることなく歳になったセザールは、未来を求めて、万博の熱狂に沸く花の都パリに出る。「今にみていろ」少年は激しい野心を胸に秘めた男だったのだ。場末の大衆食堂から始めて、様々な飲食サービスの職場を渡り歩く。その間にプロシア軍によるパリ占領、次いで市民蜂起によるパリ・コミューン、更には大弾圧に出た政府と蜂起市民の激しい内戦を目の当たりにしたはず。一方のエスコフィエは対プロシア戦争に従軍して捕虜となり、市民蜂起による内戦の最中のパリに戻る。が、天性の機転によりパリ内戦の危機の訪れる直前、パリを脱出。ヴェルサイユに本拠地を置いていた政府軍を率いる将軍付きの料理人の助手となることで、この大混乱期を生き延びている。リッツはスイス人であるので従軍はしなかったと思われるが、モンマルトルを中心に万人を越す死者が出た激しい市民動乱を、青年はどのような思いで眺め、如何に自身のサヴァイバルを図っていたのだろうか。騒乱を乗り越えたリッツは、やがて一流レストランやホテルのウェイターとして働くようになっていく。こうしていつしか「山出しの猿」もパリの水に洗われ、立ち居振る舞いも姿も、貧しくも若きパリジャンへと変身。後にビシッとしたおしゃれと優雅な立ち居振る舞いで知られることになるリッツの洗練は、この頃から身に付き始めた。しかし
セザール・リッツと妻マリー =ルイーズ
オーギュスト・エスコフィエ
前回の続き。今からおよそ百三十年前、七つの海を支配する世界帝国の首都ロンドンに、空前の豪華さをもって誕生した超高級ホテル、ザ・サヴォイ。支配人としてその運営全般を任されたセザール・リッツ( 1850〜 1918)と、ダイニングと厨房を任されたオーギュスト・エスコフィエ( 1846〜 1935)。このふたりの黄金コンビは以後、欧州の高級ホテルのあり方を大きく変革していくことになる。非常に興味深いのは、この二人、共に決して豊かとは言えない家庭の出身で、徒手空拳ゼロから自身を叩き上げた立志伝中の人であるという点。まずセザール・リッツ。スイスの山中奥深いローヌ川上流、ドイツ語圏の寒村ニーダーヴァルド(現在の人口百人足らず)の農家に、人兄弟姉妹の末っ子として生まれている。学校を終えたばかりの歳で、ローヌ川を少し下った近隣の中心ブリグ(現在の人口約 1万3千)の小さなホテルに就職する。
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出だしはソムリエ見習い(ウェイター)。ここではまったく芽が出なかった。「ホテルという人様にサービスを提供する仕事には、向き不向きがある。率直に言って、君にはその才能がゼロ !」と雇い主からクビを言い渡される。今では語り草となっている有名なエピソードだ。おそらく、ビックリするくらい「山出しの猿」だったに違いない。それが見習いとはいえ、ソムリエだなんて、無理がある。
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いた。その穴を埋める形で大いに羽振り良くパリの夜を楽しんでいたのは、金が唸る英国貴族、ロシアを筆頭とする東欧貴族、新興アメリカの鉄道王に代表される大実業家と金融財閥、南米の鉱山王や大地主、世界帝国英国の起業家や植民地での成功者等々、圧倒的に外国人が中心だった。世紀末、新たな美食文化が本格的に展開される出発点となるパリにとって、これら金持ち外国人こそが最も重要な顧客であり、レストランもホテルも彼らの要望や好みに合わせてサービスが展開されていくことになる。「出だしからインターナショナル」それがパリの美食文化の重要な要素だと言っていい。
その先駆けは、騒乱前のモンマルトル、ムーラン・ルージュに象徴される「パリの夜」に、既にその萌芽が見られる。ロートレックが描き続けた夜の女達の館、ドガが捉えたカフェコンセールの女や踊る少女たちに群がる男たち。立派な身なりの彼らの中には、数多くの外国人「紳士」が含まれていた。当時欧州随一の「夜の社交場」であったモンマルトルは、最盛期のベネツィアのそれに劣らず、欧州全域から男たちを引き寄せる魔力一杯の「インターナショナルな街」だった。こうした背景で育った二人が、ロンドンでそれまでにない世界を体験することで、新たな超高級ホテルのサービスを開拓していくことになる。
1870年代のパリ。ギュスターヴ・カイユボット画。
厨房のエスコフィエ。
それは自然にそうなったのではなく、果てなき努力の結果だった。自身の働く店にやってくる様々な紳士たちを、目を皿のようにして凝視し、その言葉を聞き逃さず、話し方から身のこなし、服の着こなしまで一生懸命に学び続けた成果だった。
では、彼がウェイターという仕事を通じて懸命に学んだ人々すなわち、パリコミューン後のパリで、一流ホテルに滞在し、高級レストランで贅沢な飲食を楽しんでいたのは、いったいどのような人々であったのか。世紀末のパリの美食文化を考える時、このことは大変に重要な要素となる。美術の世界でパトロン(発注者)の果たす役割が極めて重要であるのと同じ意味で、「高級レストランや高級ホテルの顧客が具体的に誰であったのか」という問題は、料理の中身にまで影響を与える重要考察ポイントなのだ。この時代以降、パリの美食文化は本格的な展開期を迎え、新たに開発された南仏や大西洋岸の保養地を巻き込みながら、現代の美食フランスの基礎が形成されていく。その出発点が、コミューン騒乱後のパリなのであって、その意味からも、この時代のパリの外食文化の状況を知る必要がある。では、未だ出会う以前のリッツとエスコフィエにとって、この時代、彼らのお客の中心は誰だ
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ったのか。それはフランス人ではなく圧倒的に外国人だった。革命的内戦を経て荒廃したパリで、優雅に高級料理を楽しむことのできたフランス人は極めて限られて
原野を拓く東旭川
旭川東部に位置する旭川神社。今からわずか130年まえ、この地には広大な樹海が広がり、アイヌ民族の人たちが暮らしていました。明治25年、ここ東旭川へ入植したのは、屯田兵第三大隊の兵士・家族400戸、約2400人でした。東旭川には、当時とほぼ変わらない、東西、南北に細長い区割りの田畑が、今も残されています。
旭川神社近くの練兵場のあとに建つ「屯田兵村記念館」は、開拓時代の写真や記録、農機具、生活用品を展示しています。屯田兵は午前中は軍事訓練、午後は家族と開墾に勤しみました。明治のはじめ、ロシアの南下政策に危機感をもった明治政府は、北海道の開拓と防衛を同時にすすめる屯田兵の制度をすすめます。東旭川では入植の条件として、一戸あたり5ヘクタール(約15,000坪)の土地、17.5坪の家屋、農機具、生活用具、寝具、3年間の扶助米などが支給され、主に香川、愛媛、京都、青森、秋田、富山などからの入植がはじまりました。
国から支給された「屯田兵屋」。面積は約58㎡。半分は土間と小上がりの板の間で、板の間を掘り込んだ囲炉裏で薪を燃やして暖をとりました。奥には4畳半と6畳の畳部屋があり、独身で入植した18〜25歳の若者が現地で結婚し、新婚家庭を営めるようプランされています。天井がなく隙間も多かったため、室内は外気とほぼ同じマイナス40℃ほどに下がりました。一方、アイヌ民族の住居「チセ」は地面に直接カヤなどを敷いて暮らしましたが、床を地面から上げないほうが室温を高く保てることが分かってきています。8戸に1基あたり井戸が設けられましたが、湿地帯で水質が悪く、川の水に頼っていました。
旭川周辺の町では、ソバの栽培が盛んです。ソバにはクマザサの繁殖を抑える効果があり、開拓の初期から盛んに栽培されました。
クワの木が多かった東旭川では、養蚕も盛んに行われました。下は福島からの移住者が残した機織り機。
湿地帯にはニレやヤチダモの密林で、冬場に伐採を行いました。雪の下には1m以上もあるクマザサが生え、それを手で刈った後に、ソバ、小麦、小豆などを植えました。入植後数年たつと、米を作りたいという希望が芽生えます。しかし軍の司令部は、北海道に米は適さないと考え稲作を禁止していました。それに反し、密かに稲作をはじめた成功者が現れると、軍部も黙認するしかありませんでした。耕作期間が短い北海道では、苗を育てる時間を節約するため、種モミを直まきして秋の稲刈りに間に合わせました。その際に活躍したのが、末武安次郎が開発した「タコ足」と呼ばれたモミ撒き機です。当時の記録写真を見ると、人の背よりも高い切り株が田畑に立ったまま、農作業を進めています。
いま旭川周辺は、ブランド米の産地として注目され、地平線まで続くかのような広い田園が広がっています。かつて行われていたモミの直まきは、欧州の米どころイタリアでは今も盛んで、日本でも稲作の大規模化、低コスト化、省力化を実現する技術として研究が進められています。
入植者のひとり廣澤徳治郎さんが描いた「屯田絵巻」には、大分から小樽に上陸し旭川へ移動する様子から、開墾、軍事訓練、生活用品、兵村の町並みなどが記録され、市の文化財となっています。到着した入植者は、老若男女、家族連れも多かったことが分かります。外から嫁をもらい、屯田兵屋で新婚家庭を築いていく様子も描かれています。
原生林の木を伐採し、クマザサを刈ってソバを撒き、畑から水田へと変化していく開墾のプロセスが細かく描かれています。水田になるまで切り株が残っていることから、切り株の抜根が困難であったことが伺えます。開墾が進むのに従って、支給品よりも便利な道具が工夫されるようになりました。
川沿いに暮らしていたアイヌ民族の集落も描かれています。ヤマベ、サケ、カジカなど川魚、タヌキ、キツネ、テン、熊、フクロウ、キツツキなど動物や鳥の姿も見られます。
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開演
はたけんぼうの野菜たち
性はあまりに綺麗だったので、ショーの主役とは思わなかったが「今日が最後なのでよろしかったらいらしてください。」と挨拶した声は、まさに男性だった。スタイル抜群、綺麗な衣装をつけている。みんな一斉に「きれい〜ねえ」とハモった。こんな機会はめったにない。カラオケにするか、ショーにするか。そりゃーどっちもでしょう。ということで、カラオケルームをキャンセルして、分前のステージで歌おうということになった。そうと決まれば急ぎ食事を済ませ、クラブへ直行。華やかなミラーボールと照明のあたったステージがある。大きなソファーがステージに向かってゆったりと並んでいる。昔どこかで見たことがあるような気もするが、今時こんなところがまだあるんだと少し驚きながら、ソワソワしてくる。
隣のソファーには男性と女性が3人づつ座っている。ドリンクを頼んでいると、曲が流れて来た。そう隣のおじさまがすでにカラオケを
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入れていたのだ。カラオケ大好きな友人が早速、寅さんがさくらを想う歌を書いて入れた。1曲300円。この際予算はいい。お客は私たちと隣組の2組しかいないのだが、隣組はみなさん歌がお好きのよう
で、おじさま、おばさま交互でステージに立つ。早く入れないと時間がなくなる。友人と私の曲を入れた。開演前のステージは友人の歌ま
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で。私のはショーの後ということになった。
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歌ありおしゃべりあり、この道一筋年のベテラン、分のショーはなかなかのものである。歳というが、ステージ衣装は細身で大きくあいた背中も美しい。途中でお客も増えたが、大勢とはいえないステージでお客を飽きさせず楽しませるトークの技は、男気がたっぷり。割り箸にお札を挟んで胸もとに差し込む「おひねり」も、予算外だが、全員「よし!!」と、拍手喝采、楽しんだ。
華やかなステージが終わり、ちょっと席を離れて戻って来ると、私が入れた曲が始まっていた。中止にするのを忘れていたが、今更遅い。やむなくステージに上がったが、プロのすぐ後に歌うものではない。が、久しぶりのカラオケ、それも照明の当たるステージ。浴衣でほろ酔い気分となれば恥も外聞もない。
楽しい仲間の小旅行は、気も心も開放されて大満足だった。帰ってから届いた野菜たちはみな元気だった。トマトは昔食べたトマトの味がする。ピーマンは取り出すと香りが一杯。モロヘイヤは刻んでスープに。空芯菜はニンニクと炒めて塩コショウ。ツルムラサキはさっと茹でてお浸しに。桃はほっぺが落ちるほど甘かった。
帰ってから間なしの台風では、福島に大きな被害があったと聞く。お世話になった方々にお見舞いを申し上げ、一日も早く回復されることを祈りたい。
a-ca-cia-place自分の居たい場所をつくる
cafe good life
旭川市街から車で東へ30分ほどの丘陵地帯「桜岡」に、渋谷 隆さん主宰の a-ca-cia-place / cafe good life があります。渋谷さんはセルフビルドによって、この場を築いてきました。
東川町で家族と暮らしながらカフェを営んでいた渋谷さんは、60代の半ば、偶然通りがかった「桜岡」の魅力にひかれ、ここに移住することを決めました。田畑としては利水の悪い桜岡には、農家が掘った200を超える溜池があり、美しい林や曲がりくねった道が残る、素晴らしい資質をもった土地であると直感したそうです。
フィンランドで見た、湖畔に家が並ぶような風景を形にしたいと、2007年、渋谷さんは3600坪の土地を手に入れて、セルフビルドで建物を建て始めました。初めて建ったのは、伝説のブルース・ロック・ギタリストギタリスト土門則夫さんのためのスタジオ棟。農家の納屋を譲り受け、自らクレーンや重機を操り、設計図をひかず感性に従って作り上げたそうです。
ディスプレイデザイナーとしての経験を活かし、カフェの内装もすべて渋谷さんが手がけています。木造の納屋が不要になった農家もあり、解体して更地にするというと無料で譲ってくれるそうです。そのかわり自分たちで解体し、長い梁もトラックに乗せて運びます。「自分の居場所をつくるのは、とても楽しいこと。好きなようにすれば、いい方向に進む確信がある。人に頼んだら不満が残るけれど、自分で精一杯のことをすれば限界があっても納得できる」と渋谷さん。
cafe good lifeでは、豆と野菜のスープ、鶏のトマト煮込み、ハヤシライス、ハンバーグカレーなどを提供。庭で採れた野菜やベリーがプレートを彩ります。自家製ケーキも5、6種類を用意。旭川市内や遠方からも、小さな子どもを連れたファミリー、女性グループ、若いカップルなど、様々な人たちが心地良さを求めて集います。
窓のペアガラスは、ガラス店の不用品を利用。木製サッシをガラスのサイズに合わせて作りました。大工は独学ですが、父親の大工仕事を手伝ううちに覚えました。「昔の人はみんなこうして家を建て、薪割りをして、家族の家具をつくり、農業をしていました」と渋谷さん。
たわわに実ったラズベリー畑は、渋谷さんにとって夢の桃源郷。1日いても飽きないそうです。ベリーの季節がくると、ラズベリーたっぷりのパイが焼かれます。
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