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官僚たちの新航路
直前特集東京上空 誰のもの2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件。ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターに2機の旅客機が飛ぶこむ光景は、記憶にまだ新しい方も多いでしょう。2月の上旬、それを思い出させるような光
3月29日(日)〜 運行開始
景が、都心上空で繰り広げられました。多くの旅客機が1000m以下の低空を、次々と飛んだのです。
東京都心を大きく変える羽田新飛行航路
南青山上空を飛ぶ旅客機(コラージ編集局から撮影)
国交省の悲願 都心低空を旅客機が飛ぶ
渋谷上空を飛ぶ旅客機(コラージ編集局から撮影)
2020年3月29日から羽田新航路の運行が始まります。いま各界で、騒音、落下物や事故の危険、不動産価値の下落を招くのではないかと、撤回を求める声が新航路下の住民、渋谷、港区、品川区、江戸川区、川崎市など、で大きくなっています。都心上空を飛行する新航路は南風の日の午後3時から7時までの間に運用され、年に4割以上の日に運用される見込みです。着陸ルートは千葉県から埼玉県を通り、和光市付近で旋回し、新宿、渋谷、南青山、六本木、品川といった、高層ビルの立ち並ぶ都心の上空を通過して、羽田空港に着陸します。着陸ルートは2本あり、C滑走路には主に、西、南からの便、A滑走路には北からの便が多く着陸します。一方離陸では、新しくB滑走路を使った離陸が加わります。離陸後に川崎のコンビナート地帯上空を低空で飛行します。2020年1月30日〜2月12日まで、乗客を乗せた旅客機を利用し「実機飛行確認」が行われました。南風の日の着陸は、千葉から東京湾上空を降下し、B滑走路、C滑走路に着陸していましたが、3月29日からの南風の日15時〜19時は、東京都心上空を1000〜300mの高度で飛行し、A滑走路、C滑走路に着陸します。南風運行の実機確認が初めて行われたのは2月3日で、4、5、7、11、12日にも実施され、国交省の計画どおり、房総半島から千葉、埼玉、東京都心上空をぐるっとまわり、1分に1本ほどの割合で次々と旅客機が飛来しました。
実機飛行確認のため都心上空を飛行した、旅客機からの風景(You Tubeから)
実機飛行確認に搭乗した人達から、窓の風景がYouTubeにアップされました。代々木、渋谷、六本木、湾岸と、まるで遊覧飛行と話題になりましたが、乗客への事前告知はありませんでした。
港区上空 You Tubeから
インテリアショップの多い、青山、外苑地区も、C滑走路の航路の直下にあり、南風の日の15時か〜19時まで、2分に1度ほどの頻度で飛行します。実機確認での高度は600〜700m程度で、騒音の予測値は70dB前後(騒々しい街頭)です。
2018年10月、羽田空港を離陸したエールフランス機が規定に反して都心上空を飛行した際、国交省首都圏空港課は、「都心上空をこれほど低空で飛ぶのはあり得ない」とコメントしてエールフランスを調査しています。その際は、品川上空を700mほどで通過しました。今回の新ルートは、この際の高度より低い300mで品川駅付近を通過します。ちなみに下のワールドシティタワーズ(港区港南四丁目)は最大高さ約140mです。
目的は国際線の羽田移管
新航路を主管する国交省航空局航空ネットワーク部首都圏空港課(TEL.03-5253-8111内線49327)では、新航路の目的を国際線増便のためと説明しています。新航路によって羽田空港の国際線の年間発着枠(昼間時間帯)は、6万回⇒9.9万回(+3.9万回)、国際線旅客数は1259万人 ⇒1964万人(+705万人)に増加し、6,503億円の経済効果と年間4.7万人の雇用増が期待できるとしています。一方、2013年7月には、米国デルタ航空のリチャード・アンダーソンCEOが公式会見で、羽田国際線発着枠の配分を公正に行うよう訴えています。「羽田発着枠を得られないのは、JAL、ANAがジョンFケネディ空港に着陸できないのと同じ」と例え、成田から羽田へ拠点と移したいと希望しました。
羽田国際線発着枠の配分を公正に行うよう訴えるデルタ航空のアンダーソンCEO=7月31日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
3月29日からの羽田国際線夏ダイヤでは、デルタ、ユナイテッド、JAL、ANAを中心に成田から多くの便が移管されます。
JAL、ANAの国際便は成田よりも羽田発着の便が多くなり、米国便の他、羽田昼間未就航のロシア、オーストラリア、インド、イタリア、トルコ、フィンランドへ発着枠が分配されました。
アメリカ / 日本側企業12往復(ANA6/JAL6) 相手国側12往復
2020年03月28日 羽田. ニューヨーク/ニューアーク(週7便) ユナイテッド航空就航予定2020年03月28日 羽田. シカゴ(週7便) ユナイテッド航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. ワシントン(週7便) ユナイテッド航空就航予定※成田から移管2020年03月28日 羽田. ロサンゼルス(週7便) ユナイテッド航空就航予定2020年03月28日 羽田. シアトル(週7便) デルタ航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. デトロイト(週7便) デルタ航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. アトランタ(週7便) デルタ航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. ポートランド(週7便) デルタ航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. ホノルル(週7便) デルタ航空就航予定 ※成田から移管2020年03月28日 羽田. ホノルル(週11便→週18便) ハワイアン航空増便予定2020年03月29日 羽田. ダラス/フォートワース(週7便) アメリカン航空就航予定 ※成田から移管(2往復のうち1往復)2020年03月29日 羽田. ロサンゼルス(週7便→週14便) アメリカン航空増便予定 ※成田から移管2020年03月29日 羽田. ワシントン(週7便) ANA就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田. ヒューストン(週7便) ANA就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田. シアトル(週7便) ANA就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田. サンノゼ(週7便) ANA就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田. ロサンゼルス(週7便→週14便) ANA増便予定 成田から移管(2往復のうち1往復)2020年03月29日 羽田. サンフランシスコ(週3便) ANA就航予定 ※5/25よりデイリー化
2020年03月29日 羽田. ダラス(週7便) JAL就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田. ロサンゼルス(週7便) JAL就航予定2020年03月29日 羽田. シカゴ(週7便) JAL就航予定※成田から移管(成田線は2021年に運航再開予定)2020年03月29日 羽田. ホノルル(週14便) JAL就航予定※成田から移管(4往復のうち2往復)2020年03月29日 羽田. ニューヨーク(週7便→週14便) JAL増便予定※成田から移管
中国 / 日本側企業4往復(ANA2/JAL2) 相手国側4往復
2020年03月29日 羽田. 上海(週14便→週21便) JAL増便予定 ※虹橋線を含む2020年03月29日 羽田. 大連(週7便) JAL就航予定
2020年03月29日 羽田. 北京/大興(週7便) 中国東方航空就航予定2020年03月29日 羽田. 上海/浦東(週7便) 上海航空就航就航予定2020年03月29日 羽田. 北京/大興(週7便) 中国南方航空就航予定
2020年03月29日 羽田. 青島(週7便) ANA就航予定2020年03月29日 羽田. 深セン(週7便) ANA就航予定
2020年夏ダイヤ 羽田. 北京/首都(週7便) 中国国際航空就航予定
ロシア / 日本側企業2往復(ANA1/JAL1) 相手国側2往復
2020年03月28日 羽田 .モスクワ/シェレメチェボ(週7便) アエロフロートロシア航空就航予定
※成田から移管2020年03月29日 羽田 .モスクワ/シェレメチェボ(週7便) JAL就航予定※成田から移管
2020年03月29日 羽田 .ウラジオストク(週7便) S7航空就航予定
2020年07月01日 羽田 .モスクワ/ドモジェドボ(週7便) ANA就航予定
オーストラリア / 日本側企業2往復(ANA1/JAL1) 相手国側2往復
2020年03月29日 羽田 .シドニー(週7便) JAL就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田 .メルボルン(週7便) カンタス航空就航予定 ※成田から移管2020年03月29日 羽田 .ブリスベン(週7便) ヴァージンオーストラリア航空就航予定
2020年03月29日 羽田 .シドニー(週7便→週14便) ANA増便予定
インド / 日本側企業1往復(ANA0.5/JAL0.5) 相手国側1往復
2020年03月29日 羽田 .デリー(週7便) JAL就航予定※成田から移管2020年03月29日 羽田 .デリー(週7便) ANA就航予定※成田から移管
インド側未定※0.5枠となるインド線おいては、双方企業に深夜早朝枠が1便ずつ付与され、深夜早朝枠と組み合わせて1日あたり1便の運航となります。
イタリア / 日本側企業1往復(ANA1) 相手国側1往復
2020年03月29日 羽田 .ローマ/フィウミチーノ(週7便) アリタリア航空就航予定
2020年04月20日 羽田 .ミラノ(週3便) ANA就航予定※7/10からデイリー化
トルコ / 日本側企業1往復(ANA1) 相手国側1往復
2020年03月30日羽田.イスタンブール(週7便)ターキッシュエアラインズ就航予定※成田から移管
2020年07月06日 羽田 .イスタンブール(週7便) ANA就航予定
フィンランド / 日本側企業1往復(JAL1) 相手国側1往復
2020年03月29日 羽田 .ヘルシンキ(週7便) JAL就航予定※成田から移管
2020年03月29日 羽田 .ヘルシンキ(週7便) フィンエアー就航予定
スカンジナビア / 日本側企業1往復(ANA1) 相手国側1往復
※デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3ヶ国で1便分
2020年03月29日 羽田 .コペンハーゲン線(週7便) スカンジナビア航空就航予定 ※成田から移管
2020年06日06日 羽田 .ストックホルム(週3便) ANA就航予定※7/20からデイリー化
豊島区千早小学校想定59〜 68db練馬区職員研修所実測最大 73db想定63〜70db 新宿区落合第二小学校
実測最大 75db想定 61〜 69db 渋谷区広尾中学校実測最大 78db想定 65〜 72db 港区高輪台小学校
実測最大 79db想定68〜74db 目黒区田道小学校実測最大 81db
想定 68〜 74db 実測最大 77db
品川区東京都下水道局実機飛行確認の騒音は、想定 76〜 80db
実測最大 81db国交省の想定を越えました。
最大80dB、90dbを超える騒音。国からの助成はありません。
国交省は19カ所で実機飛行確認の騒音測定を
騒音レベル 72dB(最大値 ) 72dB. 70dB 70dB. 67dB 67dB. 62dB
継続時間 . 約4秒 約2秒 約6秒
行い、速報値を公表しています。各地点で当初の
るためデータの精査が1カ月以上の時間をかけて
時間
注:上図は最大騒音レベルの発生時刻とその前後における音の継続時間をお示しするためのイメージであり、測定した波形を表しているものではありません。
注:各数値は速報値として集計したものであり、精査前であるため参考値です。注:小数点以下切上げ。行われています。
1
予測値よりも大きな騒音を記録したため、いま国
5dB
2dB
10dB
交省で航空機以外の騒音を特定し、数値を抑え
モニタリング地点
測定日 運用 東京都中央卸売市場食肉市場 渋谷区立猿楽小学校 渋谷区立千駄谷小学校 練馬区立向山小学校 江戸川区立小松川第二中学校
最大騒音レベル(dB) 騒音発 日 最大騒音レベル(dB) 騒音発 日 最大騒音レベル(dB) 騒音発 日 最大騒音レベル(dB) 騒音発 日 最大騒音レベル(dB) 騒音発生回数 日 Lden (dB)
最大値 最小値 平均値 生回数 Lden (dB) 最大値 最小値 平均値 生回数 Lden (dB) 最大値 最小値 平均値 生回数 Lden (dB) 最大値 最小値 平均値 生回数 Lden (dB) 最大値 最小値 平均値
1月 30日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 68 65 67 6 36
1月 31日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 78 66 70 21 44
2月 1日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 73 64 68 20 42
2月 2日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 77 64 68 31 44
南風時 80 71 74 43 51 73 58 69 23 43 74 62 69 44 47 66 58 63 18 37 . . . . .
2月 3日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 71 64 68 22 43
南風時 85 73 77 76 55 76 61 70 36 48 75 65 70 75 50 72 56 65 80 45 . . . . .
2月 4日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 73 65 68 30 44
南風時 78 71 75 33 52 74 64 71 9 42 75 64 70 34 47 69 59 64 9 35 . . . . .
2月 5日 北風時 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 68 64 66 12 39
南風時 86 71 76 33 51 77 60 71 14 43 76 63 70 32 45 71 60 64 13 36 . . . . .
2月 7日 南風時 80 72 75 78 55 78 63 71 36 48 79 63 70 76 50 70 59 64 34 42
2月 11日 南風時 78 71 75 31 50 74 60 69 15 42 82 63 70 31 46 68 60 64 12 37
2月 12日 南風時 80 69 76 76 55 74 62 70 34 47 78 63 70 76 50 71 59 66 33 41
住民が懸念する騒音について国交省は、事前のシミュレーションによって「住宅のある地域においては、法律に基づき住宅防音工事が必要となるような音の影響が生じないことが明らかとなりました」(国交省資料「羽田空港のこれから」)としています。なお学校などの教育施設については、必要に応じて防音工事の助成を行うことになりました。航空機の騒音が著しい区域(第一種区域)に対しては防
* 北風時の実機飛行確認は令和 2年 2月 5日に、南風時の実機飛行確認は令和 2年 2月 12日に終了しました。 音工事が助成されますが、 1日の騒音を均した Ldenという
東京都環境局は、実機飛行確認に伴う騒音モニタリングを都内 5カ所で実施し、騒音レベル、騒音発生回 騒音値 62dB以上の地域とされるため、利用時間の限られ
数、 Lden値を公表しました。 3地点で騒音の平均値が 70dbを越えましたが、 Lden値は最大 55dbでした。 た新航路では62 dBには達しません。
Vol.09
まっすぐにおひさまを見るのそうすればきっと満開に咲けるわ
原作: タカハシヨウイチ 寧江絵 : タカハシヨウイチ
声をあげる区民たち「みなとの空を守る会」
麻布十番商店街入口。同会は区内各所で宣伝活動を続けています。
羽田新航路計画に対して、影響の大きい港区、渋谷区、品川区、江東区、大田区、豊島区、目黒区などの住民たちは、計画の撤回を求める活動を続けてきました。港区では「みなとの空を守る会」が2016年5月から、計画撤回を求める署名活動や港区議会への請願、区民アンケート、パレード、宣伝活動などを定期的に行っています。2018年には石井啓一国交大臣(当時)に宛てて「低空飛行計画撤回要請署名」を各地域の会と協力して、24,520筆提出しました。2月23日、麻布十番で行われた宣伝活動を訪ねました。
共同代表の増間碌郎さんは、羽田新航路の主な問題として「都心の低空飛行」、「騒音(港区で70dB前後)」、「落下物の危険」、「不動産価値の下落」をあげています。ほかに排ガスの環境汚染を指摘する方もいました。同会のアンケートでは、約85%が中止を求める一方、計画を全く知らない、内容を知らないという方が60%以上もいて、情報提供不足が明らかになりました。国交省は第6フェーズにいたるオープンハウス型、教室型説明会により丁寧な説明を行ったとしていますが、教室型説明会の参加者は各区の在住・在勤・在学者に限られ、録音や撮影禁止、一部はマスコミにも非公開にされ、秘匿性の高い説明会でした。
道行く方々が、計画撤回を求める署名をしていました。「2月はじめの実機飛行確認以降、区民の関心が高くなった」と増間さん。
「みなとの空を守る会」の要請をきっかけにして、港区では青南小学校、麻布米軍ヘリポートなどで、区が独自に騒音測定を行うことになりました。
2月初めの実機飛行確認では麻布十番も大きな騒音に見舞われました。以前よりも住民の関心は高く、数時間で80筆近くの署名が集まり、アンケートでも大半が計画を「容認できない」という答えでした。大半の区民が計画撤回をもとめる一方、石井国交大臣(当時)は2019年8月の大臣会見で、住民説明については各自治体から評価が得られたとして計画の推進を決定しています。増間さんは「区民が声を挙げなければ、みなで賛成したことにされてしまう」といいます。道行く方々からも、実機飛行確認の騒音に驚いた、怖い、本当に飛ばすのか?という声が多く聞かれました。
区議会でタブー視される新航路の撤回要請
新飛行経路に関係する各区の区議会では、議員から羽田新航路の撤回を求める声があがり、港区議会でも風見利男議員はじめ各議員から何度も撤回の要請が行われています。それに対し、武井雅昭港区長は、「港区は計画の撤回を国に申し入れることは考えておりませんが、今後とも区民の安全と生活環境守る立場から、区民へのきめ細かな情報提供を行うことなど、引き続き国に要請してまいります」という主旨の答弁を繰り返しています。
羽田新飛行経路は、オリンピックの訪日客増加に対応するもので、撤回の要請はオリンピック開催に水をさすことという雰囲気が議会にあります。長年、都心上空の新ルートは困難であると考えていた国交省OBも、オリンピックによってマスコミや区が新航路に賛成してくれる。住民も世の中やメディアが賛成すると、反対の声は上げにくいと発言しています。
港区議会令和2年第1回定例会(2月20日)。風見議員の質問に答える武井区長。
ドイツ フランクフルトで開催された国際見本市ペーパーワールド、クリエイティブワールド、クリスマスワールド 2020年1月25日(土)〜28日(火)
ステーショナリー専門の国際見本市「ペーパーワールド」、ホビー、クラフト、DIY用品専門の国際見本市「クリエイティブワールド」、シーズナルデコレーションとフローリストの国際見本市「クリスマスワールド」の3見本市が、2020年1月25日(土)〜28日(火)(クリスマスワールドのみ24日(金)から)、ドイツ・フランクフルト国際見本市会場で開催されました。74カ国・地域から3,051社が出展し、163カ国・地域から約84,000名の来場者が訪れました。日本からは、カモ井加工紙、谷口松雄堂など、3見本市に計26社が出展しました。
「ペーパーワールド」には最新のデジタル文具、トラディショナルな筆記具、ファイル用品、3Dプリンター、各種ケース、キッズ向け文具、ファンシーギフトなど多彩な製品が集まります。
「クリエイティブワールド」は、ものを作りたい、描きたいという欲求を満たす、世界各国のホビー、クラフト、DIY用品を紹介。会場では、クラフトのワークショップも開催されています。
「クリスマスワールド」は、クリスマスやバレンタインデー、誕生パーティなどアニバサリーを彩る、きらびやかなグッズが集結。ヨーロッパのデコレーション市場の巨大さを実感します。
アンビエンテ2020 2月7日(金)〜11日(火)
世界最大級の国際消費財見本市「アンビエンテ2020」(ドイツ・フランクフルト国際見本市会場)は、2020年2月7日〜11日に開催されました。93カ国・地域から4,635社の出展者が集い、約10万8000人が来場しました。ヨーロッパを襲った暴風雨キアラや新型コロナウィルスの影響で昨年より来場者数は減ったものの「意欲的で熱心に商談する来場者の姿が目立ち、アンケートの満足度も高かった」と、メッセフランクフルト取締役のデトレフ・ブラウンさんはいいます。ドイツ以外からの来場者数上位国は、イタリア、フランス、オランダ、スペイン、英国、トルコ、米国、ロシア、日本、中国の順で、中国からの来場者減が顕著でしたが、日本からの来場者は昨年よりも増え、関心の高さがうかがえました。
最新トレンドを空間提案する、恒例の「TREND2020」。今年は特に環境問題が大きなテーマとなりました。持続可能な高品質の製品を提供することは、消費財産業全体に課せられた最も重要な課題であるというメッセージが、各出展者の製品を使って随所に表現されました。
今回初の試みとして注目された「HoReCa」。ホテル、レストラン、ケータリング業界(HoReCa)の専用展示エリア(ホール6.0)が設けられ、HoReCa関係のバイヤーが、より集中して、かつ多方面のライフスタイル商材を発注できるようになりました。専門家がトレンドを解説する「HoReCaアカデミー」や、来場者を対象としたトレンドツアーも開催され好評でした。
「JapanStyle」(左)は従来のホール8.0に加えホール4.1にもブースを新設。ホール4.1に出展したTIME&STYLEの吉田安志専務は「このエリアは高級ブランドを扱う百貨店バイヤーや、発注を即決する専門店バイヤーが多く、手応えを感じました」と評価します。成長著しいブラジルデザインに焦点をあて、デザインスタジオ5社を紹介した「Focus on Design」(中)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が展開する「MADE51」を支援するイベントも開催されました。次回のアンビエンテは2021年2月19日(金)〜23日(火)に開催されます。
安全責任は置き去りに
新飛行経路周辺の住民から撤回の声があがるなか、航空会社やパイロットたちは、どのように考えているのでしょうか。大手航空会社にメールで質問を送ったところ、「航空機は、国土交通省航空局から指示された飛行経路・高度で飛行致しますこと、ご理解賜りたく存じます。飛行経路下の住民の皆様のご心情をお察し致しますと、大変心苦しく存じますが、航空機騒音にかかわるご意見につきましては、国土交通省航空局が窓口となっております」とのことで、あくまで国交省の指示に従っているだけというスタンスでした。しかし、国際線増便という恩恵を受けている以上、まったく関係ないといえるでしょうか。一方、航空機の安全性に関して、松村仁衆議院議員から「羽田空港へ着陸する航空機の降下率」Stabilized Approachに対する質問が行われました(令和元年12月3日)。それに対し安倍晋三内閣総理大臣は「事業者から国土交通省に対し StabilizedApproachについての運航規程の変更に係る認可申請又は届出はなされていない。」と回答し、安全運行は航空会社の責任である姿勢を示しました。
世界のパイロット組合安全への取組み
世界的なパイロットの組合IFALPA(国際定期航空操縦士協会連合会)は、都心上空を飛ぶ羽田新航路に対して、安全な進入方式のアドバイスをまとめ世界各国のパイロットに告知しています。資料の中でIFALは、日本の航空局に対して、この進入方式は車輪やフラップ、スピードブレーキを使うことによって大きな騒音を発生させる可能性が高いこと、また全ての着陸に際して最大の逆噴射装置を使用することが考えられることを指摘しています。
45度という急な進入角度で .その理由のひとつは、3
す。この進入角は、「 Steep Approach(急角度進入)」に近いもので、夏季に40℃近くまで外気温が上がると、進入角は3.8度近くにあがり、ほとんどのパイロットが経験したことのない進入角度になります。降下スピードも上がるため、地表衝突の危険性を知らせるシンク・レート(降下率)の警告がでる可能性があるとしています。
東京オリンピックを間近に控え、東京の羽田空港における離発着回数を増加させる必要性があります。この離発着回数増加の施策として、これまでほとんど利用されていなかった RWY16L/Rへの進入方式を設定する必要があったのです。これらの滑走路は地域住民への騒音に対する配慮から、進入方式の設定はこれまで行われてきませんでした。この騒音対策に対する住民への説明として、日本の航空局は RWY16L/Rに対する RNP進入と ILS進入を設置することを決定しました。その ILS進入は従来の 3度による進入方式ですが、これは悪天時にのみ適用されます。新たに設定される RNP進入は 3.45度の進入角を有しており、悪天候で無い限り、ほぼこの進入方式が適用されます。 両方の滑走路は騒音による影響を軽減させるため、滑走路末端が移設される予定です。RWY16Lの着陸有効距離は 9,700ftに短縮されます。また RWY16Rの着陸有効距離は 8,270ftに短縮される一方で、滑走路終端の安全区域を確保するため EMAS(Engineered Materials Arresting Systems)が導入されています。 PAPIは3度の角度で設定されますが、将来的には 3.45度の PAPI設置が計画されています。
新方式の試験運用が 2020年 2月 1日から 3月 11日の内、7日間において実施される予定で、現地時間の 1500-1900の間で運航する航空機が対象となりますが、その前後の時間でも実施される可能性があるでしょう。その実施日について、また試験運用の終了は NOTAMによって周知されます。その試験運用にかかる全ての航空機がその進入方式を実施することが求められます。この試験運用が首尾良く終了した場合、本運用が 3月 29日から現地時間 1500-1900の間で運航する航空機に適用されることとなり、NOTAMで周知されます。
IFALPAは IATAと協働で日本の航空局に対して、この RNP進入は(ランディングギアやフラップ、スピードブレーキといった)進入着陸に必要な装備を整えることによって大きな騒音を発生させる可能性が高いこと、また全ての着陸に際して最大の逆噴射装置を使用することが考えられることを指摘しました。騒音対策はこの進入において最も考慮されるべきものです。もしも航空機がより大きな騒音を出したとしても、パイロットや航空会社に罰金が課せられることはありません。
日本支部ALPAの見解
IFALPAの日本支部にあたるALPA Japan(日本乗員組合連絡会議)から、新航路の安全性について回答をもらいました。羽田新航路の進入角度3.45度が発表されたのは2019年の夏頃で、2020年2月からの実機飛行確認に備え、IFALPA及びALPAJapanは国交省航空局の情報不足を補い、安全な進入及び着陸が出来るよう情報提供を行ってきたそうです。パイロットは常に「与えられた環境の中でいかに安全に飛行するか」を考え、準備して飛行機を操縦するので、安全の心配はしなくていいそうです。その上でALPAJapanは、新航路の安全に対する国交省航空局と航空会社それぞれの言い分が、責任回避に終始しているような状況であることを指摘しています。国と航空会社が責任をなすり合うなかで、現役パイロットは安全運行のための努力を続けています。
元機長杉江弘さんが語る、羽田新航路の危険
元日本航空の機長で、ボーイング747の世界最長飛行記録(1万4051時間)をもつ杉江弘さんは、羽田新航路の危険について、テレビ、ラジオ、新聞などをつうじ訴え続けています。著書「パイロットは知っている羽田増便・都心低空飛行が危険なこれだけの理由」(山口宏弥氏との共著合同ブックレット)では、要点を分かりやすく解説しています。
騒音対策? 進入降下角 3度→3.45度への変更
杉江さんは航空機の安全運行に注力し、日本の標準的な着陸方式となった「スタビライズド・アプローチ」の制定と普及に務めてきました。杉江さんが羽田新航路の危険性を広く訴えたいと考えたのは、国交省が2019年夏に発表した新たな騒音対策、滑走路への「3.45度」の進入降下角でした。3.45度に降下角度を上げることで、飛行機の高度が高くなり、騒音が減ると国交省は主張する一方、その効果は1db程度に過ぎないことも認めています。実際には赤い実線から点線まで、パイロットの判断によって様々な角度で侵入します。この降下角に対して、約290社の航空会社が加盟する国際航空運送協会(IATA)は国交省を訪問し懸念を示しています。
世界の空港は進入降下角「3度」で設定されていますが、3.45度で進入するとボーイング777のような大型機は、スタビライズド・アプローチが定めた高度300mでの降下率1000フィート/分を越えてしまうと杉江さんは指摘します。さらに夏場になると降下角は4度近くになり、尻もち事故やハードランディングによる機体損傷の要因となります。「国交省はスピード違反を容認するようなもの」と杉江さん。
警報がなっても着陸を強行?
45度の降下角を懸念するパイロットの声に対し、国交省は青 .3
山、広尾周辺で4度近い急降下を行い、滑走路手前で降下角3度に近い点線のルートを提案していますが、急降下によってエンジンの出力を上げるため、かえって騒音は増してしまい
45度によって、スラスターなどを作動させる .FALPAは3 Iます。
ことで地上への騒音がかえって大きくなるが、それについては国交省も了解しているとレポートしています。杉江さんは、国交省が安全を軽視しているといいます。2月はじめの実機飛行確認の際も「RNAV進入」というGPSを使った新しい進入方式が試されましたが、旅客を乗せた実機で、多くのパイロットが慣れない着陸方法をぶっつけ本番で行われました。その後、国交省は航空会社に対してブリーフィングを行い、進入ノウハウを立てるよう要請しましたが、順序が逆ではないかと杉江さん。急角度の着陸動作によって対地警報装置(GPWS)が作動することも予想されます。着陸のやり直しが増え、警報を鳴らした着陸も行われるのでは、と
国交省の資料より杉江さんは指摘します。
エアカナダは実機飛行確認を行わず成田へダイバート
2月3日デルタ DL7便の航路。羽田の南風時新航路を使い着陸。2月2日エアカナダ AC1便の航路。羽田から成田へ目的地を変更。
2月2日、エアカナダのAC1便(トロント→羽田)は、実機飛行確認のため新航路の使用を管制官から指示されましたが、パイロットの判断によって、成田空港へ目的地を変更しました。
5% .数は、わずか2路によって増える便新航
従来の海側からの着陸計40回/時都心上空新航路の着陸計44回/時
都心上空を飛ぶ新航路は、到着便の集中する南風の日の15時〜17時に利用されます。従来の海側からの着陸では、C滑走路から着陸する旅客機とD滑走路へ着陸する旅客機が干渉してしまいます。そこでC滑走路、A滑走路を着陸と離陸に使い、さらにB滑走路を離陸に使うことで効率よく滑走路を使えます。しかし、都心上空新航路もB滑走路の離陸とA滑走路の着陸が干渉し、約1.1万回、全体の2.5%しか増やせないと杉江さんは指摘します。
前号で特集した益子「窯業技術支援センター」で2月27日から、同センター伝習生・研究生による年に1度の登り窯の焼成が行われました。朝早くから薪の火が入り、丸2日がかりの焼成が始まりました。
登り窯の焼成に向けて、伝習生・研究生は1年がかりで作品をつくり、1カ月かけて準備しました。同センターの登り窯は4室あり、それぞれの棚に作品を設置していきます。その前面には、匣鉢(こうばち耐火素材の箱)を積み上げます。右上図のように大口で焚かれた火は、1番窯〜4番窯へと上がり、煙道から外にでます。その際、上写真左下の穴から入った火が匣鉢に当たり、窯上部へ導かれ、次の窯へと流れていきます。
大口(窯口)は2段になっていて、上に薪を積み、下が空気口になっています。よく乾かした赤松の薪は繊維が通り、火がよくひろがります。窯に入る空気を制限することで煙突から黒い煙がモクモクと上がり、一酸化炭素濃度の高い「還元焼成」が進んでいる事が分かります。登り窯の還元焼成によって、電気窯、ガス窯とは異なった釉薬の色が出たり、松の灰によって生じる自然釉が期待できます。
10数名の伝習生・研究生が3チームに分かれ、交代しながら赤松の薪を焚べました。薪の燃焼具合を見て、10数分に一度くらいの割合で薪を投入します。薪を2、3本もって並び、大口に積んだ薪を崩してから次々に投げ入れます。あらかじめ燃焼室の右、左、中央と分担を決めて、均等に薪が入るようにします。窯の右側に出入り口があり、土で塞いでいるものの左側にくらべ断熱性が低いので、右側の火を強目にするそうです。
薪を投入すると、覗き口から火があがります。窯の中を覗くと、真っ赤に熱せられた作品が見えました。1000℃近い熱があるため、カメラのレンズが割れることもあるそうです。
床井さんの教え子たちもかけつけ、窯の火をかこみ話に花がさきます。
伝習生・研究生たちを指導してきた益子焼伝統工芸士会会長床井崇一(とこいたかいち)さんは、彼らの作業をサポートしながら、出来るだけ自主的な判断に任せたいといいます。登り窯は、器を何番窯に入れるかや、薪の焚べたかによって仕上がりが左右されるため、窯元ではなかなか仕事を任せてもらえません。登り窯を使うことは少なくなりましたが、今後ガス窯や電気窯で焼成する際も、登り窯の経験が活きるそうです。
夜になるにつれ、炎の色は赤から橙色に変わりはじめ、窯の温度が1100℃を越えました。大口は近づけないほどの熱さになります。薪を入れる際は木綿の服を着て、軍手が燃えないように皮手袋をつけます。窯の温度があがるにしたがい、窯場は静かな興奮に包まれていきます。
真っ直ぐなゼーゲルコーンが、設定温度に近づくと曲がります。
登り窯は、1番窯、2番窯、3番窯の順に、徐々に温度が上がっていきます。各窯の中には「ゼーゲルコーン」という設定温度で曲がるコーンを立てておきます。覗き穴からこまめにコーンの状態を観察して、1300℃前後に温度が上がりコーンが曲がり始めるまで、薪の投入を続けていきます。コーンの他に電気式の温度計も使われています。
▲窯の上には、酒、米、かつお節、塩が備えられています。
焼成中、窯にヒビが入ったり、崩れたりした箇所は、土を塗り込んで補修します。こうした経験が大切なものになると床井さん。自分たちの作品を焼くだけに、真剣さが違うそうです。
0時を過ぎて窯全体の温度があがってくると、1番窯の脇の穴を開けます。大口の脇の小口からも薪を投入し、さらに窯の脇の穴からも細い薪を入れることで、1番窯の温度を上昇させていきます。火の流れが窯の下側を通り抜けてしまう「ねばしり」といった現象も起こるため、空気穴やダンパーを調整して流れをコントロールします。
薪の熾(おき)を使って、夜食の芋を焼きました。
大口のまわりに薪を充分に積んでから、小口からも薪を連続的に投入して窯の温度を一気にあげます。長時間かけてゆっくりと温められた窯が全身から火を吹き、大きな生き物のように見えました。登り窯はまず1番窯を1300℃ほどで焼き上げ、続けて1000℃以上に温まった2番窯、3番窯、4番窯の温度を順番に上げることで、効率よく大量の陶磁器を焼き上げます。「登り窯は器を焼かないで窯を焼く」ともいわれるそうです。益子では一時、30基以上の登り窯があり、休む暇もなく稼働していました。
朝6時、1番窯が焼き上がった頃に全員が集まり、クライマックスとなる「大口あげ」を行います。大口に次々と薪を投入して大量の熾をつくり、空気の流れを制御して窯の温度を保ちます。
「大口あげ」が終わり朝日がのぼる頃、窯場にも一時の静けさが訪れます。床井さんは24時間にわたり一睡もせず、窯を見守り続けていました。脇の口から細い薪を入れて2番窯、3番窯を焼き上げ、夕方まで作業は続きます。4番窯には塩を投入し「塩釉」が試されました。焼成が終わると口を閉じててゆっくりと窯の温度を下げ、窯を開けるのは、さらに1週間後になります。
川崎コンビナートを低空で飛ぶB滑走路からの離陸
杉江弘さんはじめ専門家が危惧することのひとつが、南風時に行われるB滑走路からの離陸ルートです。従来は飛行禁止だった川崎コンビナートの低空を離陸した旅客機が飛びます。
川崎コンビナートは羽田空港の南西に位置します。従来C滑走路は着陸専用に使用され、コンビナートに向かう離陸ルートは使われませんでした。原発(東芝エネルギーシステムズ原子力技術研究所)や石油精製所が林立し、事故発生時に大きな被害が想定されるからです。新航路の実機飛行確認では、C滑走路からの離陸が初めて行われ、コンビナート上空を300〜500mの低空で飛行しました。
川崎コンビナート上空の飛行については、1970年に東京航空局から「川崎コンビナート上空3000フィート(約914m)以下の飛行は行わせない」という通知が行われ、川崎市と国の間で合意書が交わされました。杉江さんも機長として、そのルールを厳守してきました。それが2019年になり突然撤廃され、高度数百mの飛行が許されるようになりました。
この措置は大きな矛盾をはらんでいます。B滑走路からの離陸機には3000フィート以下の飛行を許し、それ以外は従来どおり3000フィート以下の飛行を禁止しています。B滑走路から離陸した旅客機は多摩川を越えて、川崎市殿町上空を上昇します。殿町周辺では実機飛行確認の際に90dbを超える騒音を記録し、住民たちは国との約束であったコンビナート上空の飛行制限を守るよう求めています。多摩川には沢山の野鳥が羽を休め、野鳥がエンジンに吸い込まれるバードストライクの事故も懸念されています。
3月末から、川崎市殿町の住宅地に向けて、B滑走路からの旅客機が飛び立ちます。
杉江さんが懸念することのひとつに、旅客機のハイテク化があります。ボーイング社「737MAX」は操縦特性補助システム(MCAS)の不具合のため、2018〜19年、立て続けに2件の墜落事故を起こしました(計346名死亡)。どちらも離陸後数分に起こった事故で、システムのエラーにより操作不能になったことが要因でした。ハイテクが進むとパイロットの技量では防げない事故が増えると杉江さんは指摘します。一方、国交省航空局は墜落事故のないことを前提に計画を進め、自治体やコンビナート事業者と、防災の協議は行っていません。川崎コンビナートの事業者からも計画を知らなかったと驚く声も上がっています。国交省は新航路の運行が始まってから、地元消防団とも協力していきたいといいます。
降下角度3.45度の要因は米軍横田空域
杉江さんたち航空専門家や国際的パイロット団体が危険性を指摘する羽田新航路の
することで騒音約1db低減するといいますが、人間の聴覚では分からない範囲です。杉江さんたちの調査によって、降下角3.45度の背景に、米軍横田空域の存在があることが明らかになりました。
45度。国交省は高度を高く .進入降下角3
南青山上空を飛ぶ米軍ヘリ(コラージ編集局から撮影)
太平洋戦争が終わり、日本が米軍に占領さ
れた際、日本の領空も米軍の支配下におかれました。1952年、日本の主権が回復し、領空も返還されましたが、横田基地周辺に一時的に認めた米軍の管制権が残り、1975年日米地位協定にもとづく日米合同委員会により、横田空域の管制業務を、今後も「米政府が行う」という合意が行われました。東京、埼玉、群馬、栃木、神奈川、福島、新潟、長野、山梨、静岡の1都9県にまたがり、本州の中心を分断する巨大な空域で、高度2450m〜7000mmまで、階段状に設定されています。米軍は自由に訓練を行え、最近はオスプレイの低空飛行が問題になっています。事実上、日本の旅客機は横田空域を飛行できず、2008年、羽田に関連する空域が一部返還されたものの、パイロットにとって、その存在は大きいと杉江さん。東京湾で旋回して高度をあげたり、房総半島をぐるりと回ったり、航路の混雑や時間、燃料がかかる要因にもなっていますが、最近は返還についの交渉は滞っています。
横田空域
45度に揃えることで、あくまで「騒音対 .も3
A滑走路に着陸する都心上空の航路は、中野上空で横田空域に入り込みます。国交省は日米合同委員会で米軍と交渉を続け、内容は非公開なものの、羽田管制で一元的に旅客機の運行を扱うことを、今年1月に米軍と合意しました。この空域は「ハイトラフィックエリア」と呼ばれる米軍機の往来が多い地域をかすめるため、3800フィート(約1160m)よりも高い高度を飛ぶように指示されました。その地点とA滑走路を結んだ角度が3.45度であり、国交省と大手航空会社の情報共有資料には、その内容が明解に説明されていました。ただし、公式には横田空域のための措置とは言いにくいため、C滑走路への降下角度
策」と主張しているのでは?と杉江さんは推察しています。コラージ編集局も何回か国交省に問い合わせましたが、住民のための「騒音対策」という姿勢は崩しませんでした。米軍のための措置を住民のための措置にすり替えないで欲しいと感じました。
東京都心、六本木・新国立美術館の近くに米軍基地「赤坂プレスセンター」(ハーディー・バラックス)のヘリポートがあります。横田基地、座間基地から米軍のヘリコプターが頻繁に低空で飛来し、騒音を撒き散らし、小学校に不時着する事故も起こしています。港区は再三にわたり基地の返還を求めてきましたが、米軍は都心アクセスの利便性を主張し返還を拒んでいます。米軍のヘリコプターは日米地位協定にもとづき日本の航空法の適応をうけません。都市部の最低飛行高度は300mとされていますが、米軍は自由に飛ぶことができます。心配なのは、米軍ヘリポートへの侵入ルートが、羽田新航路と交差する点です。国交省は米軍との調整を特に行っていませんが、日米合同委員会を通じて、新航路の説明をし、航空法を遵守した飛行をお願いした。米軍の飛行を阻害するような要請はできないとのことでした。日米合同委員会はヘリポートに近い米軍のニュー山王ホテル(広尾)で開かれていて、米軍将校の移動にも利用されています。六本木トンネルの上にヘリポートがあります。
フェンスの向こうはアメリカです。「赤坂プレスセンター」は星条旗新聞日本支部や米軍の宿泊施設があります。正門の写真をとると警備員が飛び出してきました。
世界有数のヘリコプター所有国である日本。都心上空にも民間、警察、消防などのヘリコプターや小型機が沢山飛行しています。都心上空の新航路が運用される南風の15〜19時には、都心上空に羽田の特別管制空域が設定され、遊覧飛行の民間機などはルートを変えて対応します。新航路の影響について、ヘリコプター会社に取材を申し込みましたが、受けてもらえませでした。
新型コロナウィルスに翻弄される羽田空港
新型コロナウィルスの影響で国内便・国際便ともに減便が相次ぐ羽田空港。3月29日の夏ダイヤに向けて着々と準備が進んでいます。今までの「国際線ターミナル」は「第3ターミナル」に変更となり、国内線用だった「第2ターミナル」からも国際線が発着します。中国、韓国、欧州からの入国者、帰国者へむけて、2週間の待機が要請がされるなか、都心に直接アクセスする羽田の検疫がどのように整えられるか注目されます。
江戸風情を感じさせる小路や茶店、アーケードが設けられ、インバウンドの受け入れ体制も万全です。国としては、羽田空港をビジネス客や個人旅行者向けの国際・国内空港、成田空港をLCCを利用する中国・アジア圏からの団体向け国際・国内空港として使い分け、東京を中心とした国際競争力を高める狙いです。
有為転変は世の常とはいえ、現在イタリアが置かれている窮
状を思えば、1月に三田のイタリア大使館で開かれたトレンティーノ・ワインの試飲会、あれは夢幻であったのかとも思われてくるほどだ。終息まで少なくともあと数カ月は掛かりそうだが、いつかこのウィルス騒動も終わるときが来る。そう祈りながら、イタリア最北端の「特別州」の話を続けよう。
前回ご紹介したイタリアの発泡ワイン、トレンティーノ DOCは、イタリア最北端に位置するトレンティーノ=アルト・アディジェ特別州の、南半分を占めるトレンティーノ自治県の名産だ。その県庁所在地が人口約十万人のトレント市。こ
こから
キロほど北に行くと、同州の北半分ボルツァーノ自治
県の県都ボルツァーノ(ボルザン)市に至る。こちらも人口は約十万人。この周辺もまた、水準の高いワインを産することで知られている。このふたつの自治県同士の関係は、ひとつの州を構成しているにも関わらず、なかなか微妙なものがある。今回は、その複雑な空気を生み出す遠因となっている「歴史の棘」について探ってみたい。
イタリアは全土
州で構成され、そのうちの5つが「特別州」
下がトレンティーノ、上がボルツァーノ
という統一国家が誕生したのは、日本の明治維新の直前である1861年のこと。統一国家としては僅か150年少々の歴史しかない「若い国家」なのだ。イタリアを「若い国家」などと呼ぶと、常識を疑われるかもしれないが、これは歴史的な事実だ。5世紀後半に古代ローマ帝国が崩壊して以降、群雄割拠の時代が続き、現在のイタリア全土がひとつの政権で統一されることは、一度もなかった。きらめくルネサンス文化は諸侯の覇権の競い合いの中から誕生したものであり、現代の南部対北部の激しい対立に象徴されるように、イタリア各地の地域主義は日本よりもはるかに根強い。その一方で、かなりの地域で、フランスや神聖ローマ帝国など外国勢力の支配下に置かれた歴史があることも事態を複雑にしている。
では、全
の中でも5つを占める「特別州」(regione
autonoma,レッジョーネ・アウトノマ)とは、いったい何か。憲法の規定により、他の「普通州」に比較して、より強い自治権が付与されている「特別な自治州」を意味する。代表的なのが、シチリアとサルデーニヤで、両特別州共に大きな
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となっている。「州」(regione,レッジョーネ)という言葉に象徴されるように、日本と比較するならば、各州の国家に対する自治権は強力だ。それも当然といえば当然で、「イタリア国」
島で固有の歴史文化が背景にある。では、今回のテーマであるトレンティーノ=アルト・アディジェ特別州(以下、トア特別州と表記)の場合はどうか。5つある特別州の中でも、さらに格別な位置を占めていて、その自治権の大きさは「独立国家」に近い、と言ってもいいくらいだ。トレンティーノ発泡ワインの試飲会に出席するまで、このようなことは全く知らなかった。試飲会で感じた素朴な疑問。これを出発点として、あれこれ調べていくうちに、いつしかこの地域の歴史世界に引き込まれていくことになってしまったのだ。
トア特別州は、既述の通り南部と北部、トレンティーノ自治県とボルツァーノ自治県というふたつの「県」(provincia,プロビンチャ)から構成されている。このふたつの県が、特に「自治県」という名称で呼ばれるのは、両者が共に、他の自治州に匹敵する強力な自治権を有しているからだ。「県」でありながら、憲法上「特別州並」の強力な自治権が認められているが故に、特に「自治県」という名称が使われている。これ、いったい、どういうことなのか。トア特別州の場合は、敢えて言うと、ほっとけば離婚するに決まっている夫婦(ふたつの自治県)を、法律の力で何とかひとつの家(州)の中につなぎとめている、そんな感じだ。だから、
家として共通の苗字(州名)はあるが、家族としての実態(州政府活動)は、ほとんど存在しないに等しい。端的に言えば、母語ドイツ語系の住民と母語イタリア語系の住民が、それぞれに強力な自治体を形成して共存(競存)している形となっている。歴史的に見て両者は、仲がよろしくない。不仲の理由は、その複雑な歴史に起因する。
トア特別州は、総人口がわずか107万人であるにもかかわらず、驚くなかれ、イタリア語、
ドイツ語、
第3回レストランで第4回欧州農民の暮らしと食:ブリューゲルの絵から第5回遥かなる古代の宴席:エジプト・ペルシア第3回はレストラン体験のため第2回銀食器から見た欧州の宴席講義と会食:コーシャ 11 (
ユダヤ料理)
早稲田大学エクステンションセンター中野校第1回美食イタリア料理幻想:移民団故郷の夢5/20、5/27、6/03、6/10、6/17水曜日 10:30.12:00計5回 :15.13:30
詳しくは左下のリンクへ
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そして、ラディン語という3つの言語が「公用語」として認められている。ラディン語とは、この地域の先住民族である古ケルト系種族の言語で、主にドロミティ山間部を中心に使用者が散在している。トア特別州全体における各言語の話者(母語)比率は、イタリア語%、ドイツ語
%、ラディン語3%、となっている。ところが北部ボルツァーノ自治県に限ると、その比率は逆転し、ドイツ語%、イタリア語%、ラディン語4%となっている。要するに、北部ボルツァーノ自治県は「ドイツ語圏」ということになる。実際ボルツァーノ市の街並みは、看板もドイツ語表記が目立っていて、建物もドイツ・オーストリア的な雰囲気が濃厚だ。その市街地から山間部に分け入れば、チロルの高原の風情一杯となっていく。では、なぜ、そのようなことになっているのだろうか。
現在のトア特別州の大半は、南部トレンティーノ自治県地域を含めて、第一次世界大戦前まで、オーストリー=ハンガリー帝国の領土だったのだ。オーストリアの側から見れば、トア特別州は「 1919年にイタリアに奪われた領土」ということになる。その時点まで、この地域に住む人々の大半は、ドイツ語を話す南チロル地方の「オーストリア人」であり、地域の主要都市は峠を越えたインスブルックで、大事な公用では首都ウィーンに赴くという暮らしだった。心情的には「我らチロル人」だったのだ。
(次回へと続く)
羽田のまちづくりとセットの国際線化高級ホテル、複合施設、研究拠点の整備がすすむ
羽田空港の沖合拡張にともない、海老取川、多摩川沿いに生まれた空港空き地を利用して、跡地利用計画「HANEDA GLOBALWINGS」が進んでいます。2010年に国土交通省、東京都、品川区、大田区などが「羽田空港跡地まちづくり推進計画」を策定し、新しいまちをつくる壮大な計画がスタートしました。
▲ 第2ゾーン 羽田エアポートガーデン(住友不動産)
▼ 第1ゾーン 羽田イノベーションシティ(HICity)
HANEDA GLOBALWINGS第1ゾーンでは、天空橋駅直結の複合施設「羽田イノベーションシティ(HICity)」の建設が進んでいます。第2ゾーンは第3ターミナルに直結した「羽田エアポートガーデン」で4月21日開業予定。それに加え、多摩川の対岸川崎市「殿山地区」では、医療系の研究施設を中心とした「キングスカイフロント」を開発中です。南風時の15時〜19時には、B滑走路からの離陸が行われ、旅客機が直上を飛行します。
第2ゾーンでは、第3ターミナル(国際便)に直結した「羽田エアポートガーデン」の建設が大詰めを迎えていました。住友不動産を中心とした羽田エアポート都市開発が、平成30年に国交省と事業協定書および50年の定期借地権契約を結び、国家戦略特区の大規模複合開発として事業をスタートしました。平成28の事業者選定には3事業者が参加し、提案内容の評価点は住友不動産案が最低でしたが、年間27億円の貸付料による総合得点によって選定されました。
敷地約13,000坪、ハイグレードホテル ヴィラフォンテーヌグランド(1557室)最上級ホテル ヴィラフォンテーヌ プレミア 羽田空港(160室)を中心に、30店舗のレストラン、60店舗のショッピングシティ、2万㎡の展望温泉、国際会議にも対応する大ホール・宴会場が4月21日にオープン。インバウンド向けのハイグレードホテル、飲食店、物販店を揃えた内容で、国際便増便を前提とした計画です。なお、本計画は民間都市再生事業計画の認定を受け、都市再生特別措置法に基づく特例(金融支援等)、租税特別措置法等が設けられています。
天空橋駅に直結した第1ゾーンの「羽田イノベーションシティ(HICity)」は、国家戦略特区・国土交通省スマートシティモデル事業として、鹿島建設を代表とした羽田みらい開発(出資9社)が公募型プロポーザル方式によって選定され、先端領域と文化領域の2つのコアをテーマとした施設が設けられ、日本のインスペレーションの玄関口となるそうです。
先端領域では「自動運動など先端モビリティ」「健康医療」「ロボティクス」などの未来の暮らしをつくる企業を誘致しています。文化領域では「伝統」「観光」「食」「温泉」「音楽・映像・演劇」「芸術」を軸に施設を整備。ジャパンカルチャーの魅力を国内・国外へ発信していくそうです。3000人収容の巨大ライブホール、文化体験型の商業施設、足湯のあるスカイデッキ、ARTIST VILLAGE、自動運転を研究する先端モビリティセンター、日本の食文化発信施設、日本の文化、工芸の体験施設、研究開発拠点、区施設活用スペース、会議研修センター滞在施設、水素ステーション、先端的な医療研究センター、アートアンドテクノロジーセンターなど内容目白押しの複合施設です。複延床面積は約13万m.で、設計・施工は鹿島建設、大和ハウス工業が行い、オリンピックに先立って、7月3日の町びらきを予定しています。
多摩川にそって、展望テラスや休憩場所を設けた散策路「ソラムナード羽田緑地」が整備され、多摩川をわたり川崎側とつながる新しい橋も建設中です。一部には、HANEDA GLOBAL WINGSがIR(カジノを有する統合型リゾート)になるのではと危惧する声もあります。
ドラゴンシリーズ 67
ドラゴンへの道編吉田龍太郎( TIME & STYLE )
ベルリンから東京へ1992年
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号の
ん中に
さも
年の冬にベルリンから東京に戻って来て、僕は絵描きの
友人の絵描きの家に居候しながら、ダンポールのデスクとダ
ンボールのスツール、電話機
台を絵描きのアトリエの片隅
に置かせてもらい、そこに会社を設立しました。ですから僕らの会社の最初の登記住所は絵描きの友人の絵描きのアトリエがある江戸川区の新小岩でした。(今は南青山ですが ……)
絵描きの友人は長谷川繁、そしてその友人は小林孝亘と言う絵描きでした。絵描きと言う表現が美術作家とかアーティストとかと言う表現よりも好きなのは、彼らの長い年月に渡る苦労を目の当たりにして感じた、彼らの仕事を正しく現す言葉が『絵描き』なのだと思います。僕の息子も今はウィーンのアンゲワンドクンストと言うところで絵描きをしています。まだまだ絵描きと呼べるようなものではないのでしょうが、彼もまた、地底の底を這うような人生の選択をしたのです。そんな絵描きに憧れていることも、自分の中の真実です。
小林のアトリエは新小岩駅
から歩いて
20
分くらいの場所
にあって、駅前の商店街を真っすぐに抜けて殺風景な町工場や住宅が混在する下町を過ぎると、中小の町工場の集まるところに橋本金属株式会社
の工場があり、その建屋の
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階にありました。大き
めの鉄製の階段を上がり、自分でシャッターの上げ下げをし
て中に入ります。
階建ての工場の中は幾つかの金属関係の
中小工場が間借りしており、小林のアトリエはその
坪くらいの広さで、天井高が
ました。大きなアルミサッの窓からは太陽光が沢山入って来て、その窓を開けると目の前に大きな墓地が広がっていました。小林は多分、この墓地が前にあるので今後も大きな建物は建たないだろうと考えて、この場所にしたのだと思います。
大きな壁面のあるアトリエには、幅が
メートルくらいのキャンバスが床から壁に立て掛けて
ありました。そこで小林は一日中キャンバスを眺めている時もありました。僕は小林の姿を背にしながら、ダンボールのデスクとスツールで仕事を始めていました。会社の登記をす
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階の真
メートルくらいあり
メートル以上で高
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る為に、自分で登記書類を書いて何度も登記所に行っては、係の窓口職員からダメ出しをされて戻っては書き直して、その登記が受理されるまでにカ
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月くらいの時間が掛かってしまいました。泊まる家も無かったので会社がま
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だ僕だけの時は、しばらく小林のアパートに泊めてもらっていました。半年
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間くらいだったと思いますが、小林と布団を並べて、朝になると台所で小林
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がコトコトと味噌汁を作ってくれて、朝ごはんを一緒に食べて、小林のアト
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リエ、僕の東京オフィスまで一緒に駅の反対側にある小林のアパートから分くらい歩いて毎日通いました。
その東京オフィスのある橋本金属工場号には、多くの個人経営のネジ職人、鍛鉄の職人や、大型の空調を加工をする工場などが上下、左右に入って
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金属加工をしていました。 35
隣は鍛鉄の金属をハンマーで叩いて、大きな特注のシンクを作っていたり、左側では歳くらいの熟練工のおじさんが特殊ネジを手作りしていましたので、東京オフィスは金属加工の音の洪水で、飛び散る金属粉の中で過ごしました。
しばらくすると小林のアトリエでは僕らの製品を収める場所が足りないため、同じ橋本金属工場号の中に、坪くらいの事務所と倉庫を兼用する部屋を借り、軒隣の部屋に引っ越し
30ました。その頃にはベルリンから中村も東京に戻ってきて、一緒に仕事をするためアパートを探し、隣駅の小岩に小さなアパートを借りました。そこは高架下のカラオケ屋さんの階風呂なしのアパートだったので、夜は近所の銭湯に通いました。僕らがお風呂のタイルを歩くと、金属粉にまみれた僕らの足跡がクッキリと付いているのです。それは「ハンテン」のロゴマークのようにハッキリと、人の足跡が銭湯の洗い場の風呂椅子のところまで繋がっていました。
僕らは黄色のケロヨンのたらいにお湯を入れて足跡を消していましたが、よくよく考えると僕ら人が毎日銭湯に通う金額をプラスすれば、風呂付きのアパートが借りられたことに後になって気がつきました。全ての行動がそんな感じでしたが、仕事のなかの毎日の楽しみの一つとして東京オフィスの近所にあった中華屋さんの唐揚げ定食が僕らの定番で、一日の唯一の食事だったと思います。中華屋さんのおじさんの作る唐揚げ定食が大好きでした。毎日、それだけを食べていました。
小林は、木材を購入して下地を組んで、そこに綺麗にキャンバス生地を張りこみ、下地に白の絵具を塗って張りを出し、それでキャンバスが完成します。時々僕らもそのキャンバス作りを見ては手伝っていました。
僕らは一大決心をして、幕張で開催される I S O Tと言う展示会に初めて出展しました。小林のキャンバスを真似て 3枚作り、当時小林はモネの睡蓮の絵を大きな壁に描くバイトをしていて、そこに使われる空を描くテクニッや、下地に白の絵具を叩くように乗せてゆく技法を習い、キャンバスの上に大きな空を完成させました。そしてコピー機を駆使してアルファベットの切文字に立体感と質感を出す為に、スチレンボードに艶有りのブルーのシートを貼り付けて、アルファベットの一文字一文字をコピーして
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スチレンボードに貼り、その文字のアウトラインにそってカッターで丁寧に切り取って立体感のあるアルファベットの文字を完成させて、ブースの壁面に張り込みました。その大きな空のキャンバスを展示会場に持って行って組み立て、当社初めての展示会ブースが完成しました。
3日間、僕と中村は全く寝ずに準備をしていたので、展示会の前日に銭湯に行って体重計に乗ったら骸骨のような顔の僕は 60キロを切っていました。もう 1人の僕よりももっと骸骨のような顔をしていた中村は、多分キロを切っていたかもしれません。骸骨の顔をした 2人が笑うとカチカチと言う歯が鳴るような音がしていましたが、そんな顔で展示会の初日を幕張メッセで迎えました。そしたら、そこに大勢の人々が集まり始め、テレビ局やら読売新聞、朝日新聞の取材なども殺到したのでした。しかし僕たちは 2日間寝ていなくて、骸骨のような顔をしていましたので、まともな対応もできませんでした。
新小岩の倉庫のオフィスに誰も居なくなったこともあり、当時タクシー広告にあったチェスコム秘書センターに電話を転送するようにしました。 1カ月 1万5千円くらいの契約料だったのですが、翌朝の TBSの番組で生島ヒロシさんが現物の家具を紹介してくれたことが原因で、全国からチェスコム秘書センターに電話が殺到して、回線がパンクしてしまいました。
僕らはそんな状況も知らずに幕張メッセのブースに集まる多くの人々にフラフラになりながら、訳も分からずに対応しました。日本の商慣習も何も知らない僕らの無知が引き起こすトラブルの序章はこのような骸骨のような 2人の顔からでした。
2人の骸骨の顔がお互いの顔を見て、可笑しくなって腹を抱えて笑っていたことを鮮明に覚えています。腹を抱えて大笑いした後は、何故だか分かりませんが涙が流れてきて止まりません。その時代の骸骨の 2人が今はとても愛おしいですが、二度と出来ないことだとも感じています。
『人生は二度なし』ですよー!
ライフサイエンス分野の一大拠点
多摩川を挟んだ向かい岸には、川崎市の殿町国際戦略拠点「キングスカイフロント」があります。
殿町キングスカイフロントは、世界最高水準の研究開発から新産業を創出するオープンイノベーション拠点として整備された約40haに及ぶエリアです。健康・医療・福祉、環境といった分野でのグローバルビジネスを生み出すことで、日本の成長戦略の一翼を担い、国家戦略特区・国際戦略総合特区・特定都市再生緊急整備地域に指定されています。そのため規制緩和・財政支援・税制支援等の様々な優遇制度の活用が可能となっています。2月はじめの実機飛行確認の際は、キングスカイフロントの国立医薬品食品衛生研究所で90dbを超える騒音が記録されました。新航路の影響はほとんどないと説明されていた周辺住民を驚かせました。キングスカイフロントの敷地には元々いすゞ自動車の川崎工場があり、2001年にUR都市機構が土地を取得しました。現在は東急REIホテル、殿町第二公園をはじめ、遺伝子治療研究所、花王研究所、神奈川県立産業技術総合研究所、神奈川県立保健福祉大学大学院川崎市環境総合研究所、川崎市健康安全研究所、幹細胞評価基盤技術研究組合、慶應義塾大学殿町先端研究教育連携スクエア、東京工業大学中分子IT創薬研究推進体、国立医薬品食品衛生研究所、実験動物中央研究所、ジョンソン・エンド・ジョンソン、生命科学インスティテュート、大日本住友製薬、タカラバイオ株式会社、日本アイソトープ協会、富士フイルム富山化学株式会社、理研ジェネシスイノベーションゲノムセンターなど、ライフサイエンス研究や医薬品開発、医療サービスなどの企業、大学、研究所が集中しています。
キングスカイフロント東急REIホテルは、世界初の水素ホテルです。使用済みプラスチックを利用して昭和電工川崎事業所で水素を製造し、パイプラインでホテルへ水素を供給。使用エネルギーの30%を水素でまかないます。またホテルから出る使用済プラスチック(くしや歯ブラシなど)を事業所で水素に還元し、エネルギーの地産地消を行っています。
真の目的は東京再構築コンビナートの防災計画、騒音問題、落下物、地元住民との協議、パイロットの安全な操縦、米軍との調整、コロナウィルスによる便数の激減など、課題が山積するなか、国交省航空局は3月29日から新航路運用を実行します。赤羽国交大臣は記者の質問に対し「いま少し便数が減っているから、この運用を先延ばしにしていいことはない。検証に時間をかけるより、3月29日から実際に運用したほうが、より安全性というか、いいことを高めあえると思う」と発言し、問題を積み残したまま、運用しながら解決する姿勢を示しました。
A滑走路、C滑走路への着陸航路上には、渋谷、代々木、恵比寿、外苑、六本木、虎ノ門、高輪など都心の再開発地区が並んでいます。高層ビルが林立するなか、一戸建、古いマンションの残る地域も多く、その再構築の一環として住環境の悪化や地価下落をすすめる新航路が設定されたと推察されます。羽田空港ではさらに第5(E)滑走路の計画も行われています。
森ビルによる「虎ノ門・麻布台プロジェクト」。六本木1丁目駅〜神谷町駅にかけて、元郵便局を含む広大な土地を再開発したプロジェクトで、一戸建やビルの地権者を30年かけてまとめ、オフィス、ホテル、フードマーケット、インターナショナルスクール、ギャラリーなどを集約した緑の多い環境をつくります。メイン棟は日本一の高さ(約330m)になり、羽田空港周辺の建物高さ制限(約220m)を越えますが、東京タワー333mに近いため特例として認められたと思われます。
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ヨーコの旅日記第27信海は広いな、大きいな。川津陽子メッセフランクフルトジャパン
▲ アンビエンテ恒例の「AmbienteTrends」。 ▲ 昨年につづき日本酒バーを出展。 ▲ JAPAN STYLEの展示(TIME& STYLE)
ある日の休日。人が多く集まるところに行ってはならない。では、どこか静かなところへ行こうか、どこか春を感じられる場所に。そう思い立ち、海に出かけてみた。気づけば1ヶ月のうちに 2度も。海の存在が身近ではない自分にとっては非常に珍しいことである。1度目は房総半島へ。途中、海ほたるPAで立ち寄ったアクアラインシアターで、東京湾アクアラインの当時の建設技術や努力に感激したり、海の近くの海鮮食堂で大好物の鯵フライを堪能した後、館山にある漁港に寄ってみた。防波堤では、中高年の男性達 10人くらいが黙々と釣りに没頭している。各自のテリトリー内で思い思いにゆったりとした時間を楽しんでいるようだ。ついでに近くの砂浜に降りてみる。まだ少し風が冷たいが、冬の終わりの弱い日差しがちょうどよい。見渡す限り人っ子一人いない。まさに聞こえてくるのは波の音だけ。ただただ、ぼーっと、目の前の波を眺めていると、夏の館山の海が蘇ってくる。幼少の頃、父親が勤める会社の保養所が館山にあった関係で、毎年夏休みになると、叔父家族と共に館山の海に家族旅行に出かけていた。千葉県出身とはいえ、かなり内陸で育った私にとっては、同じ県内での海水浴もかなり大ごとであった。当時、共働きでなかなか休みが取れない上に、お盆にまつわる一通りの行事を大事にこなす両親が、ようやく休みを確保出来るのは、送り盆を終えた翌日からの二日間。祖母と飼い犬に留守番をお願いし、毎年この日程で館山に行くのが恒例であった。お盆を過ぎた頃の房総半島の海は波がやけに高く、当時の自分の身長を軽く超える高波に、何度も飲まれてはものすごい勢いで地面に叩きつけられたり、塩水をたっぷりと飲み込んでむせ返ったりしていた。高波から試練を与えられる度に、恐怖で動揺しつつも、海中で視界に入る目の前の情景や耳に入る水や空気の音が、毎回スローモーションのように感じられ、なぜかとても冷静な気持ちになった。
▲ 清水さんとSchuster社長とThoma社長。 ▲ アジア系の学生がもくもくと寿司を詰める。 ▲ 目が合うと笑顔を返してくれるスタッフたち。 ▲ 頼もしい風貌の Schr.der料理長。
ああした場面では、実際、泣いたり叫んだりできないものなのだ。父の会社の保養所は海水浴場から歩いてすぐのところにあったのだが、ひとしきり昼間の海を満喫し、夕飯後にはたくさんの花火を買って再び砂浜に出向くのも恒例であった。日中、私に試練を与えた高波は、夜の暗闇のなかで迫力を増し、昼間とはまた違う怖さを感じたのを覚えている。その後、小学校高学年になる辺りから、この一泊二日の海水浴旅行は鴨川へと舞台を移し、その後大人になってからもハワイやメキシコなどさまざまな海を経験することになるのだが、やはり幼少期に人生で初めて体験した海は、新しい経験と発見に満ち溢れていて、鮮明に記憶に残る思い出が多い。一年に一度の家族で過ごす眩しい、キラキラした楽しく賑やかな海を思い出す一方、私の中では、海はナメてかかると痛い目に合う、という教訓が今も頭から離れない。久々に館山の波を目にして、そんなことを思い返していた。2度目は小田原へ。目的は海に行くことではなかったが、折角だからと魚市場食堂で再び鯵フライを堪能。この日は小田原文化財団 江之浦測候所へ。急な坂を登ってたどり着いたその測候所からは目の前に相模湾が広がる。アートと建築の素晴らしさは言うまでもなく、緻密に設計された広大な敷地に広がるランドスケープにすぐに心奪われた。この日は穏やかな小春日和で、菜の花が敷地内の至る所で満開で、景色を更に彩る。みかん道を登ったところにベンチがあったので、再び相模湾を前に一息つく。菜の花の独特の香りを感じる。入場人数を限定した完全予約・入れ替え制ということもあり、広い敷地内はとても静かで、周りには誰もいない。春の日差しを浴びながら、ついうとうとしてしまう。相模湾の向こうには、三浦半島とその奥に先日訪れた房総半島が見えた。当たり前だが、いつも地図で見るように向かい合っている。そして、眼下にはみかん畑と菜の花畑が広がる。これもまた三浦半島と房総半島とのコラボレーションのようで面白い。世界的に広がる不安な毎日をつい忘れさせる、穏やかで静かな時間がそこにあった。幼少時代に経験したあの荒い高波を作り出す顔もあれば、人を眠気に誘う穏やかな顔も持つ。海は広いな、大きいな。穏やかさを取り戻すまで、ここは静かに、じっとその時を待つしかないのかもしれない。